きつねも厄のことをちょっと軽く考えてて厄年にひどい目にあったからね。
どんなことがあったのさ?
ちょうど職場で配属先が変わったりして。
新しい配属先で散々な目にあったんだ。
もう、今までの人生で一番精神的に不安定になったよ。
毎日罵声を浴びせられてたから、勤務時間中は思考が完全にストップしてたんだ。
だからその時の記憶が今でもところどころハッキリしなかったりする。
よくこうして元気でいられるなって思うよ。
それはきついよね…
その当時は厄年の「や」の字も考えたことなかったのに…
もちろんお参りなんてやってないよ。
今から考えるときちんと厄祓いの祈願をしておけばよかったな〜って思う。
だから牛太郎にもぜひちゃんとお参りしておくことをおすすめするんだ。
じゃ、厄年のこともっとくわしく教えてよ!
というわけで、
厄年にきちんとお祓いとかやっとけばよかったな〜
と、今でも思い出しては後悔しているきつねが厄年について解説していきたいと思います。
- そもそも厄年ってなに?
- 厄年になったらどんなことあるの?
- 厄年には何したらいいの?
など、素朴な疑問から整理していきましょう。
Contents
厄年の意味と年齢
厄年ってよく聞くけれど、そもそもなんなの?ってところがあるかと思います。
そこで、厄年の意味について、いつもの如く、全国の神社を束ねる神社本庁の見解を参考にすると、
- 厄年の年齢は、人の一生の中でも、体力的、家庭環境的、あるいは対社会的にそれぞれ転機を迎える時でもあり、災厄が起こりやすい時期として忌み慎まれています。
- その年に当たっては、神様の御加護により災厄から身を護るため、神社に参詣をして、災厄を祓う厄祓いの儀(厄除け)がおこなわれます。
出典:『神社のいろは』
ということです。
ポイントは、
- 厄年の年齢は人生の転機で災厄も起こりやすい
- 災厄から身を護るために厄祓いの祈願がおこなわれる
といったところでしょうか。
こうなると、じゃあ厄年の年齢っていつなんだ?となりますよね。
実は、厄年の年齢って地方によっても様々だと言われています。
ただ、一般的には、数え年で、
【厄年表】
男性 | 女性 | ||||
---|---|---|---|---|---|
前厄 | 本厄 | 後厄 | 前厄 | 本厄 | 後厄 |
24 | 25 | 26 | 18 | 19 | 20 |
41 | 42 | 43 | 32 | 33 | 34 |
60 | 61 | 62 | 36 | 37 | 38 |
となります。
神主さんがおっしゃるように、女性の場合も61歳を厄年とする考え方が増えているようで、きつねの崇敬神社である北野天満宮では、
と、男女ともに61歳は厄年とされています。
厄年の由来
厄年の意味にも関連するんですが、続いては厄年の由来について考えてみます。
いつから厄年の考え方が日本に定着したのか、また、なぜ厄年が先ほどの年齢となるのか、という疑問についての整理です。
厄年の考え方はいつから?
厄年の考えは、縄文時代に書かれたという日本最古の書といわれる『ホツマツタヱ』に明記されていたという説もありますが、平安時代には確実にあったと考えられています。
かの紫式部が書いた『源氏物語』の「薄雲」と「若菜」下の巻に37歳の厄年のことが出てきます。
「薄雲」では、藤壺の37歳について、「つつしませ給ふべき御年なるに」と表現されます。
「若菜」下では、光源氏が37歳の紫の上に対して、「今年は、つつしみ給へ・・・」という場面があります。
つまり、女性の37歳は、飲食や性的な行為を慎み、身体を清めて不浄を避け、神仏に祈りを捧げる「物忌」の時期と考えられていたということです。
『源氏物語』より30年ほど前の970年ごろにも『口遊』という陰陽道の書物において、厄年が13、15、25、37、39、61、73、85、91歳と挙げられています。
その後、室町時代には、男女の区別なく13、25、37、49、61、85、99と考えられ、江戸時代に入ってから現在のような年齢に整理されていきます。
(とはいえ、もちろん今でも地域ごとに差異は存在します。)
厄年の由来にまつわる諸説
きつねがリサーチしたところでは、厄年は3つほどの由来に分類できます。
- お役目説
- 人生の転機説
- 語呂合わせ説
- 陰陽道説
です。
お役目説
今でも一部の地域では残っている風習ですが、かつては、厄年を迎えると、その地域の神社の祭祀や運営を担う「宮座(みやざ)」といわれる氏子集団に加入したり、「頭屋(とうや)」といわれる神社の祭りの世話役を担うことになりました。
この場合、祭りの世話役になると、一定の期間、心身を清浄に保ったり、言動を慎んだりすることが求められます。
きつねのいう「お役目説」というのは、このように、厄年になると地域の神事で一定の役割を果たす、ということで、「厄」=神さまにお仕えする役目としての「役」であるという考え方です。
人生の転機説
「お役目説」にも重なるところがあるのですが、厄年の年齢の頃にちょうど人生の転機を迎えるという説です。
就職、昇進、結婚、出産、子育て、健康・身体状況の変化などの人生の転機と厄年の年齢が重なるから今の厄年の年齢になったと考えるわけですね。
いずれも宗教的な意味でのお役目ではないですが、ある種の身体的・社会的な「お役目」といえますね。
語呂合わせ説
特に、江戸時代になると、今日と同じように、19、25、33、42歳を厄年と考える習俗が広まっていきます。
それらの年齢で語呂合わせが成立するからです。
例えば、
- 19=重苦=苦しみが重なる
- 25=「五五、二五」(後々二重後)で死後のこと
- 33=「散々」
- 42=「死に」に通じる
として忌まれたということです。
陰陽道説
陰陽道というのは中国渡来の宇宙観、哲学のことです。
万物は陰と陽、そして木火土金水という五行によって成立すると考えます。
宇宙的なバランスを重要視した哲学思想で、バランスをなくしたものを悪とし、厄とみなします。
そして、陰陽道では数字も陰陽に分けて考えていて、1、3、5、7、9などの奇数は陽数といわれ男性的な数と考えられています。
- 奇数:陽・男性的エネルギー
- 偶数:陰・女性的エネルギー
ということですね。
そこから、陰である女性の大厄は33歳という陽数(奇数)、陽である男性の大厄は42歳という陰数(偶数)、つまり、性別の陰陽と、年の陰陽が真っ向からぶつかり合うのが厄年と考える説です。
結局どう考えればいいの?
以上4つの説を紹介してきましたが、結局どう考えたらいいの?となりますよね。
結論的には、お役目説(人生の転換点説含む)を中心に、全部の説の要素があわさって今の厄年の考え方になっていると考えるのが正解です。
なぜなら、厄年は1,000年以上も前から習俗として定着してきたものなので、どれか1つに由来を絞ることがもはやできないからです。
この点を神主さんに確認すると、
ただ、おおよその神社で説明するところでは、人生の転換期に当たる年齢が多いのでそういった観点から説明しています。
男性だと40過ぎると仕事の面でも大きく環境が変わってくる歳ですし、女性の19歳となると結婚、そして、特に女性は30代に2回厄年がありますがおそらく子育ての話だと思います。
還暦に男女共厄年があるのですが、これはある地域とない地域があったりします。
私は厄年とは役年であるという説を推しています。
というのも、明治まで、地方の神社というのは基本的に村の人が順番に神社のお世話をしていました。
つまり、専属の神主はいなかったのです。
そうするとその年1年間は慎むべき決まり事がありました。
これが厄年に繋がっているのではと話す学者さんもいます。
まさに役年ですね。
おそらく年齢に関しては大陸から渡ってきたものである可能性は高く、それが陰陽道などの学問と合わさり、さらに民間信仰として徐々に広まり根付いたと思われます。
ただし、こうしてご祈祷などするようになったのはおそらく最近のことだと思います。
私が祈祷する時に説明しているのは、人生の転換期であるために注意した方がいいですよ、としています。
役年のことを推しているのは、神主としてはこちらの方が理解を得やすいからです。
神主さんのお話によると、厄年の考え方には神社界で統一した見解はないですが、神主さん推しのお役目説(人生の転換説含む)を中心に、陰陽説などの要素と組み合わさって整理されてきた、ということですね。
厄年のお祓いはいつやる?
さて、厄年の年齢や由来がわかってくると、今度は厄年をどう過ごせばよいのか、という疑問が出てきます。
特に、厄年が巡ってくると、本厄だけでなく、前厄・後厄もありますから、そこをどう過ごすか、非常に気になるところです。
実は厄年のお祓いについても神社界で統一された見解はありません。
気になるようなら前厄・本厄・後厄それぞれで厄祓いのお参りをしても構いませんし、本厄のときだけお参りするというのでもよいわけです。
さらにいえば、そもそも「厄」というのは、生活している間に、塵や垢のように、少しずつ溜まってしまうものです。
そう考えると、体の垢を落とすように、厄祓いに何度行ってもかまわないわけです。
(実際、平安時代の貴族は、月に一度のペースで厄祓いしていたといいます)
それに、複数の神社仏閣で厄を祓ってもらってもよいのです。
ただ、これではますますどうすればよいのかわからなくなってしまうと思いますので、こちらも神主さんに整理してもらいました。
ただし、毎回する必要はないと思いますので、本厄のときだけご祈祷し、あとは前厄後厄はお守りで守っていただく、という方法を私は勧めています。
もちろんこれも一種の民間信仰なので、当然個人個人大変な時期も違います。
なのでその時々に定期的に厄払いすること、もしくはお守りを毎年受ける、というのが大事かな、とも思います。
とのことなので、厄祓いのご祈祷は本厄のときだけでもかまわないのです。
きつねの理解としては、本厄のときの厄祓いも大切だけど、それよりも日々神さまを敬う生活、厄を落とす生活が大切だと感じています。
節分の豆まきだって厄祓いですし、夏越の大祓や年越しの祓えなどがあるので、年中行事としても厄祓いが存在し、そうした折々の行事を大切にしつつ、日々のお参りもできるだけ欠かさないような生活ですね。
厄年に限らず、気になったら厄を落とすことを気にかけるような、そうした生活態度が本来の厄祓いにつながるのだろうなと思います。
本厄での厄祓いのタイミングについては、厄祓いするのは早いに越したことはないですから、例えば、初詣の際に済ませるなどをおすすめします。
ズルズルと先延ばしにすると、本厄の年も終わっちゃう〜ってことになると何のご祈祷なのやら…となりかねませんので。
厄年に起こることあれこれ(参考)
実際、厄年でどんなトラブルが起こっているのか、民間会社の調査結果(年齢研究所)が公表されているので、そちらを紹介しますね。
その調査によると、厄年に何らかのトラブルを経験した人は約3割(28.2%)だそうで、中でも女性30代では4割強(42.0%)と多いです。
他に、厄年における具体的なエピソードも紹介されています。
男性
◆大病を患った
・糖尿病発症が42才の時にあった(57才男性)
・私自身は特にはないが兄が42才で脳内出血で大手術。今でも後遺症に苦しんでいる。(50才男性)
・42歳の時にくも膜下出血の手術をした。(62才男性)
・60才の定年直前に大病を患い、生まれて初めて手術を受けた(61才男性)
◆体調を崩しやすくなった・身体機能が衰えた
・各厄年年齢近くで、体調の変化が生じやすかった。(64才男性)
◆事故にあった
・交通事故を起こした。24才。(38才男性)
◆仕事のトラブル
・42才、リストラされそうです。(42才男性)女性
◆大病を患った
・20才の時大病をした。入院、手術で長期欠席をし、学業に支障をきたした。(69才女性)
・33才の時、婦人科疾患で入院加療する。(68才女性)
◆体調を崩しやすくなった・身体機能が衰えた
・32才位の時、ぎっくり腰になったり、転んで顔を怪我したりと体力の低下を感じた。風邪をひくと治りにくくなったりもした。(48才女性)
・31~32才の頃、それまで健康そのものだったのが急に体調を崩すようになり、疲れやすくなった。(44才女性)
・60才になって体調不良が続いている。まず、股関節が痛くて歩けなくなり、次には腰が痛くて動けなかった。(60才女性)
◆けがをした
・37才の時骨折した(62才女性)
◆事故にあった
・32才の時に車が台風の強風でとんだ屋根の下敷きになり、廃車になった。(40才女性)
◆度重なる不幸
・19才の時に失恋をし、父親がガンで倒れ、職場でいじめにあい、拒食症になった。つらくて、沖縄に逃げた。33歳で人生二度目の大失恋。37才が怖い。(36才女性)
・19才…病気で入院/33才…母死亡/37才…交通事故(51才女性)
◆家族や周囲の人の不運・不幸
・33才の時、厄払いに行った友人が大きな交通事故に遭い、大けがをしたが命は助かった。(43才女性)
・主人が42才で、人生初の入院生活をしたこと(44才女性)
出典:年齢研究所
やはり厄年の年齢くらいになるといろんなことが起きてもおかしくないですね。
実際、きつねも冒頭紹介したように、大厄の41歳のときに、職場の配属先が変わった関係で上司から大変なパワハラを受けてメンタル寸前まで追い込まれる事件がありました。
さらには、25歳のときに、おたふくかぜが重症となって数週間入院し、当時就職活動中だったのですが、ロクな就職活動もできずに、たまたま回復後にもまだ募集のあった会社に拾われるという散々な目にあったり。
厄年のことなんて全く考えてなかったので、もちろん、厄祓いで全て避けられるわけではないでしょうけど、もう少し厄と向き合っていれば何とかなったんじゃないかなと後悔することがあります。
まとめ
今からでも厄祓いしてこようかな…
厄年は1つの節目。
年中行事も含めて日々の厄落としを意識するといいよ。
やっぱり、人生の節目節目でいろんなことが起きると思うので、厄年はそんな未来のリスクを予想しつつ、神さまを敬い、日々を大切に生きることを私たちに促してるんだろうな、それが昔から意味のあることだったから、平安時代から江戸時代を経て、現代に習俗として根付いているんだろうなと思います。
くれぐれもみなさんもお気をつけて!
みなさんの開運を心より祈念いたします。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。