稲荷神社といえば、真っ先に思い浮かべるのは狐ではないでしょうか?
ひょっとすると、稲荷神社の神さまは狐で、狐が神さまとして崇められて全国的に稲荷信仰が拡がっていったとか、そう思ってる人も少なくないかもです。
かく言う私きつねもそう思ってる口でしたから(汗
でも調べてみると、稲荷の神さまが狐というのはちょっと違うようです。
となると、逆に、稲荷神社はどういう意味があって狐と深く結びついているのか、気になってきますね。
そこでこの記事では稲荷神社と狐の関係について掘り下げていきましょう。
稲荷神社の狐の意味
結論からいうと、狐は稲荷神が人間に見える形で俗界に遣わした「使い」(=神使)という存在です。
眷属(けんぞく)ともいいます。
神使というのは稲荷神と狐の関係以外にも、
- 日枝神社の猿
- 天満宮の牛
- 八幡宮の亀
などさまざまです。
それぞれの神社で猿、牛、亀が神さまとして祀られているわけではないように、狐が稲荷の神さまとして祀られているというわけではありません。
(例外的に伏見稲荷大社の中で、神使としての狐が神さまとして祀られている社があります。それが後ほど紹介する白狐社(命婦社)です。)
ただ、狐は並ならぬ霊力をもつ存在として、古くからある種の信仰の対象とされてきたので、ほかの神使以上の存在ではあります。
ではそもそもなぜ狐は稲荷神の神使となったのでしょうか。
この点についてはいろんな説があって確定したものはないのですが、大きくは2つの説に集約されます。
- 御祭神名の「ケツ」が「キツネ」と結びついた
- 春に山から降りて秋に山に帰る狐の習性と田の神が結びついた
という2つの考え方です。
「ケツ」と「キツネ」が結びついた説
伏見稲荷大社の御祭神として、現在
- 宇迦之御霊大神(ウカノミタマノオオカミ)
- 佐田彦大神(サタヒコノオオカミ)
- 大宮能売大神(オオミヤノメノオオカミ)
- 四大神(シノオオカミ)
- 田中大神(タナカノオオカミ)
の五柱が祀られています。
ですが、当社の創祀当初は、
- 宇迦之御霊大神
- 佐田彦大神
- 大宮能売大神
の三柱が祀られていました。
そしてこの三神はいずれも食物の神です。
食物の神さまは総じて御饌神(みけつかみ)と呼ばれます。
この「みけつ」がいつの間にか、御狐(みけつね)、三狐(みけつね)に転じたことによるという説がこちらの考え方です。
田の神の降臨と結びついた説
狐は、春先に山から里に降りてきて秋の終わりにまた山に帰るという習性をもつといわれます。
これはまさに田の神が春先に山から降りてきて秋の収穫後に山に帰るという動きとぴったり一致します。
こうした狐の習性と田の神の来臨とが重なることで、狐は神さまの先導役的に里に降りてきて、また山に帰っていくと考えられたのがこちらの考え方です。
その他の説
メインの2つの説以外にも、
- 狐の色がたわわに実った稲穂の色と重なり合うこと
- 狐が里近くの田のほとりや塚穴などをすみかとして田の周りをうろつく姿がしばしば人に目撃されたこと
なども稲荷神と狐とが結びついた根拠と考えられています。
きつね的には、これらの要素が複合的に重なって狐が稲荷の使いとされるようになったのではないかと思います。
稲荷神と狐に関する説話
稲荷神と狐の結びつきについて、『稲荷流記』という空海の弟子・真雅(しんが)僧正が書いた書物には面白い昔ばなしが記載されているので紹介します。
平安初期の弘仁年間(810〜824)の頃。
平安京の北郊、船岡山の麓に、年老いた狐の夫婦が住んでいました。
この狐夫婦は、善良な心根の持ち主で、常から世のため人のために尽くしたいと考えていました。
畜生の身ではそれもなかなか叶わないと悟った夫婦は覚悟を決めます。
5匹の子狐をともなって稲荷山に参拝し、
「今日より当社の御眷属となりて神威をかり、この願いを果たさん。」
と社前で祈ります。
すると、たちまち神壇が揺れ動き、稲荷の神さまからご信託が下ります。
「そなたらの願いを聞きゆるす。されば、今より長く当社の仕者となりて、参詣の人、信仰の輩を扶け憐れむべし」
こうして狐夫婦は稲荷山に移り棲み、稲荷神の慈悲と付託にこたえるべく、日夜精進に務めることになりました…
といったお話です。
このような伏見稲荷大社と狐とのエピソードは、実際の境内においても生きています。
それが本殿の裏手で千本鳥居の手前で見られる白狐社(旧:命婦社)(みょうぶしゃ)という神社です。
というのも、この命婦社に祀られている二柱の神さまというのが、先ほどの狐夫婦である御芋(おすすき)と阿古町(あこまち)なのです。
稲荷神と狐との結びつきがすでに信じられていて、後付でこのような説話が生まれたのかは定かでありませんが、稲荷神と狐との深い関係を示す面白い説話です。
ちなみに、命婦とは、宮中の女官のことですが、この話の中では稲荷山に祀られている霊狐のことをいいます。
狐がくわえているものはなに?
稲荷神の神使である狐は、狛犬ならぬ狛狐として、伏見神社に置かれているのを見たことがある方も多いかと思います。
こんな感じですね。
(伏見稲荷大社)
もちろん、伏見稲荷以外の稲荷神社でも鳥居や楼門、あるいは本殿前に狐の像が設置されています。
(満足稲荷神社)
そして、例えば伏見稲荷の狐の場合、よく見るとそれぞれ口になにかくわえているように見えますが、このくわえてるものってなんなのでしょうか?
(楼門向かって右)
こちらは玉のようなにかをくわえています。
(楼門向かって左)
そしてこちらの狐は鍵をくわえてるようです。
これら狐がくわえているものを考えるにあたって、前提となるのが、稲荷神はなんの神さまかということです。
先ほどの「稲荷神社の狐の意味」のところで紹介したように、稲荷神とはもともとも、
- 宇迦之御霊大神
- 佐田彦大神
- 大宮能売大神
の三柱のことでした。
そして、この三柱は食物の神さまであり、古い時代でいえば稲などの農耕や穀物の神さまでした。
このような稲荷神の性格から、
狐がくわえている玉は農耕神・穀霊神を象徴する玉であるとされます。
また、
狐がくわえている鍵は、穀物を納める米蔵の鍵で、転じて、自家の財、家内安全、家業繁栄を象徴するものと考えられています。
その他にも、
稲をくわえたものも見られます。
※稲を刈るための鎌をくわえる狐像もあるといわれますが、きつねは見たことはありません
さらには、お経の巻物などの仏法具をくわえたものも見られます。
これは、明治時代の前までは、稲荷神と仏教とが結びついていたことの影響といわれます。
具体的には、仏教の荼枳尼天(だきにてん)と稲荷神との習合です。
荼枳尼天はもとはインドにおける鬼神で、6か月前に人の死を知り、その心臓を取って食べるという恐ろしい女神です。
日本に伝わってからは福神化され、狐に乗った稲荷女神の姿が広まります。
出典:Wikipedia
炎の燃え上がる如意宝珠(仏法具)をくわえた狐像もあるといわれますが、そもそも穀霊神を象徴する玉と如意宝珠との区別がきつねとしてはよくわかりません。
如意宝珠のイメージは狐像の尻尾にくっついているこちらのような玉なのですが、これは玉なのか如意宝珠なのか…
またわかり次第この記事を更新させてもらいます。
また、珍しいものとして、伏見稲荷大社の眼力者には青たけをくわえた狐も設置されています。
ただ、青たけをくわえている由来ははっきりしないそうです。
まとめ
稲荷神社と狐との関係にはなかなか奥深いものがありそうで、単純な答えではなさそうですね。
ポイントは、
- 「ミケツカミ」である稲荷神の「ミケツ」が転じたとする説
- 狐の習性が田の神の来臨と似ていることによるとする説
の2つの説があるということですね。
また、稲荷神社の狐像がくわえるものには、
- 玉
- 鍵
- 稲穂
- 巻物
がよく見られますが、
- 鎌(かま)
- 如意宝珠
などの狐像もあるようです。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさまの開運を心より祈念いたします。