風水

風水とは何か?その起源や歴史について神道的な観点から解説してみたいと思う

こちらのブログでは、主に神道における神様や開運法をテーマとして取り扱っています。

なので、このブログで風水をとりあげるとなると、

「なんで神道の神様について紹介するブログで風水をとりあげるの?」

と違和感を持たれる方もいらっしゃるでしょう。

たしかに、この記事でテーマとする風水は、香港、台湾、シンガポールなどで人気のある「風水」とはかなり趣が異なります。

ただ、こと日本における風水については、実は神道と大いに関係があります。

たとえば、日本の風水での有名人といえば、Dr.コパさんを思い浮かべる方が多いと思いますが、Dr.コパさんは、神主でもあるので、Dr.コパさんの風水には神道的な観点が大いに盛り込まれています。

Dr.コパさんのみならず、現在、日本で風水として一般に受け入れられているものには、神道的な観点が盛りだくさんです。

日本古来から伝わる神道の教えと風水が親和するからこそ、今のように広まっていったとも言えます。

そんなわけで、この記事では日本の風水と神道との関係について整理していきたいと思います。

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風水とは何か

さて、日本の風水について述べる前に、そもそも「風水」とはなにか、その起源や歴史とはどのようなものかについて整理していきます。

まずは、風水について書かれた様々な書籍の中での定義を紹介しましょう。

香港出身で世界的にも著名な風水師であるレイモンド・ロー氏の『風水大全』によると、

風水とは、

・環境に関係した知識で、
・人がどのように周りの環境に調和し、盛衰を繰り返すかを研究したもの
・古代人の観測による風景、山、水の配置に対する知識体系であり、安全で好都合な住居を探し求め、生きてきた結果

と定義しています。

また、歴史作家であり神職でもある戸矢学氏の『神道と風水』では

・「風水」とは、「天文地理」なのです。
・風水では大自然の根元のエネルギーを「気」と称し、またその流れや勢いのことを「脈」と称します。
・大事なことは、この気と脈は「天」「地」「人」を貫き、相互に関わるということです。
・そして最も重要なことは、人は地に拠り、地は天に拠る、ということです。
・すなわち天文を無視して地理を判ずることはできない、というのが大原則なのです。
・元々は、これが風水です。

とします。

建築士であり、風水師であり、神職でもあるDr.コパさんの『Dr.コパの風水 お清めの作法』によると、

風水とは、

環境開運学

と定義されます。

風水師の李家幽竹さんの『季節の幸せ風水バイブル』によると、

風水とは、

衣・食・住、行動など、自分の生活環境すべてを使って運を切り開いていくという、いわば開運のための環境学です。そのため、「環境が運を決める」というのが、風水の基本的な考え方です。

とされています。

このように紹介していくと、さまざまな定義があるようにも見えますが、並べてよく見てみると根っこの部分はどれも同じであることがわかります。

すなわち、「風水」とは、

環境が持つエネルギー(=気)を生活の中に取り込んで活かすための知識体系

ということなのです。

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風水の起源

このような環境が持つエネルギーを利用する知識としての風水の考えは、今から6000年前の中国で確認することができます。

先に紹介したレイモンド・ロー氏の『風水大全』によると、

6000年以前の古代の墓の中には、左に青龍、右に白虎のシンボルがあり、すでに6000年以上前に風水が行われていたことを示す

とされています。

具体的に風水が形になるのは、紀元前2700年頃とされる伝説上の人物である黄帝(こうてい)からです。

伝説では、黄帝は中国文明が起こった黄河一体の支配者で、近隣の他部族を制圧した偉大な武人です。

その黄帝は、戦いの中で、呪術者でもある部族の王、蚩尤(しゆう)と対決します。

蚩尤は濃霧をつくり出し、空を暗くし、黄帝とその軍隊を霧の中に閉じ込めます。

そこで黄帝は師となる九天玄女(きゅうてんげんにょ)に助言を求めたところ、方位磁針の作り方を教わります。

二輪戦車に方位磁針を装備した黄帝は、霧から脱出して蚩尤を打ち負かします。

この戦いの中で用いられた方位磁針の発明が、風水の具体的な歴史の始まりです。

紀元前2300年頃には、「最初の風水師」といわれる青烏子(せいうし)が登場します。

青烏子は、『青烏経』を著したと伝えられて、その名を採って風水は「青烏之術」(せいうのじゅつ)とも呼ばれました。

その後、風水は、陰陽、五行、八掛などの概念と結びついて発展していくことになります。

そして、風水が歴史上「風水」として呼ばれるようになるのは、西暦300年頃に登場する郭璞(かくはく)が著した『葬書』において、

氣乗風則散 界水則止」(=気は風(ふう)に乗ずれば則ち散じ、水(すい)に界(しき)られれば則ち止まる)

(=環境のエネルギーは風によって散ることになるが、水で遮ることで止めることができる)

という表現が使われたことからです。

この『葬書』は、風水学の原点ともいわれます。

こうして発展した風水は、2つの大きな流れに分かれます。

巒頭(らんとう)派理気(りき)派です。

巒頭派は、環境の中の外見や形を重視します。

具体的には、実際に目に見える物体、山や水などの解読に主眼が置かれるものです。

こちらは、山の形や地形などを重視するもので、個人の一般的な生活には取り入れにくい考え方です。

理気派は、確実に環境の中に存在し、強い影響を与える抽象的なエネルギーの盛衰を、天文や地理の相応関係によって読み解くために、羅盤と呼ばれる方位磁針盤を緻密に活用しつつ、五行や九星、八掛なども用いるものです。

理気派の考え方は、五行や九星を重視するため、時代や社会の変化を超えた普遍的な原理に基づいて判断できる点が利点とされます。

一般の生活にも取り入れやすく、現代の風水の趨勢となる考え方となります。

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日本への伝来と日本的風水の成立

さて、風水の起源から現代までの流れをざっと紹介してきましたが、日本の風水は、この流れにおいて、ある時点から分岐していったものです。

日本に伝わり、日本の風水として分岐するタイミングについて、多数派の考え方は、仏教の伝来とともに、602年頃、推古天皇の時代に日本に伝わったのではないかとしています。

Dr.コパさんは、仏教伝来のタイミングという意味では同じですが、仏教は仏教でも平安仏教の頃、唐に渡った最澄が804年頃に日本に伝えたものと考えています。

きつね的には、西暦300年頃に『葬書』が記されたとはいえ、歴史的には少なくとも紀元前3000年頃から風水の考え方は成立していたことからすると、事実上、日本に風水が伝わっったのは仏教伝来よりももっと前だったのではないかと推察するところです。

この点について、戸谷学氏の『神道と風水』を参考にしながら、きつね的に整理してみます。

日本の風水について

先ほど紹介した定義によると、風水とは、環境が持つエネルギー(=気)を生活の中に取り込むための知識、ということでした。

この”環境が持つエネルギーをうまく利用する”という観点は、日本における、とりわけ縄文時代における自然信仰・精霊信仰と通じるものがあります。

というのも、自然信仰・精霊信仰というのは、まさに、人間の身の回りの大自然(=環境)を畏れ敬いながら、そのエネルギーを人間生活に取り込もうとすることを大きな要素とするからです。

そうした観点から考えると、風水的な考え方は仏教伝来よりはるか昔から日本に存在していて、仏教伝来とともに日本に流入したものは、体系化された知識としての風水だったのではないか、と考えられます。

その証拠の一つとして、『神道と風水』では、『魏志』の「倭人伝」にある邪馬台国(西暦100年〜200年頃)についての有名な一節を紹介しています。

魏志倭人伝にある「女子を立てて王となす 名付けて卑弥呼という 鬼道に事え 能く衆を惑わす」という一節です。

この一節にある「鬼道」というのは、

道教の方術のことであり、すなわち風水の亜流であろう

とします。

また、古墳時代(西暦200年〜西暦600年頃)における、

前方後円墳という我が国独特の墳墓形態は、風水本来の思想を明確に体現

とします。

つまり、仏教伝来の時期を待つまでもなく、邪馬台国や古墳が成立した時代に、すでに日本に風水的な考え方が存在したと読み取れる記述や遺跡が残っているということです。

さて…もう少し話を進めて、風水と神道との関係についても整理してみましょう。

くり返しになりますが、「風水」とは、文字通り「風」と「水」という大自然のエネルギーを活用するための知識です。

そして、大自然のエネルギーを活用するという姿勢は、縄文時代の自然信仰、精霊信仰に通じるものです。

また、本来的な神道(古神道といいます)というのは、自然の力(=神様)が山、岩、川、木などに宿ると考える自然信仰・精霊信仰をベースとします。

つまり、縄文時代の自然信仰・精霊信仰は、神道のベースとなるものなのです。

ということは、風水の考え方というのは、古神道にも連なるものといえます。

風水、自然信仰・精霊信仰、神道の関係をイメージ化するとこんな感じです。

  • 風水 ←(関連あり)→ 自然信仰・精霊信仰
  • 自然信仰・精霊信仰 ←(関連あり)→ 古神道
  • ↓(ゆえに)

  • 風水 ←(関連あり)→ 古神道

このような意味で、風水的な考え方は、古神道とともに、仏教伝来よりはるか昔から日本に存在(あるいは断片的に大陸から流入)していて、仏教伝来とともに日本に流入したものは、体系化された知識としての風水であったのではないか、と考えられるわけです。

なお、風水の体系的な考え方は平安仏教とともに日本に伝わったと述べられるDr.コパさんも、風水のベースは縄文時代から成立していたと考えられています。

『Dr.コパの風水 お清めの作法』の内容を簡単にまとめると、

・実は平安時代よりはるか昔の縄文時代、弥生時代からすでに日本の風水のベースはできていた
・1万2000年前の縄文人たちは、あらゆる自然に「霊魂」が存在すると考えていた
・人々は大自然に宿る精霊たちを畏れ敬い、そのパワーを上手に取り入れながら暮らすようになる
・これはその後の日本人の宗教観の基礎
・弥生時代には、太陽や水、土などの大自然に祈りを捧げて、豊かな実りを願う農耕神の祭りが始まる
・この時代には、集落の近くに方形周溝墓(周囲を方形の溝で囲んだ墓)や墳丘墓(土を盛った墓)が出現
・「祖先は死してなお一族の繁栄を見守り、お墓から子々孫々にパワーを与え続ける」という陰宅風水の基本的な考え方はこの頃生まれた
・中国では、始皇帝が風水の考え方をまとめつつあった
・仏教が伝わった6世紀半ばには、すでに、風水のごく基本的な考え方も伝わってきていた
・奈良の高松塚古墳は、陰宅風水を取り入れたもの

となります。

そして、日本での風水は、神道との結びつきに加えて、陰陽道とも結びつくことで、独自の発展を遂げていくのです。

>>>陰陽道とはなにか?(工事中)

とりわけ、日本の風水では、方位が持つ運気や色の親和性を詳細に分析することに加えて、神道的な「清浄」の概念や、塩を用いた「祓い」の概念、鬼門に対する独特な考え方などが特徴的です。

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まとめ

風水の意味、起源や歴史について解説するとともに、日本の風水がいかに神道と親和性を有し、渾然一体として発展してきたか、その一端を説明させていただきました。

神道に関するブログで、なぜ風水について紹介するのか、少しご理解いただけたものと思います。

そのうえで、今後は、日本的な風水についてバンバン紹介していきたいと思いますので、どうぞその内容もご一読ください。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

みなさまの開運を心より祈念いたします。

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