神社参拝に目覚めてから、少し間が空く時期もあったりしましたが、ず〜っと続いている習慣です。
で、かれこれそれが4〜5年になるわけですが、最近特に、こうした日常の神社参拝の意味について考えることが多くなってきて、一定の考えがまとまったので、それをここで紹介させてもらいたいと思います。
現段階での神社参拝の究極のあり方についての結論です。
宇宙の本質的なところからめっちゃ遠回りして解説しているので、少し長くなりますが、よかったらご覧ください。
Contents
宇宙は波動で成立している
まず、誰もが理解できる話として、物質的な人間の構成について考えてみます。
理科の授業で習ったとおり、物質を構成するものは分子(たとえば、水なら「H2O」と習いました)です。
なので、物質を細かくしていくと、まずは分子というものが出てきます。
で、分子はさらに原子(H2OがH2個とO1個みたいに)によって構成されます。
さらに、原子は電子と原子核によって構成され、電子は素粒子…
みたいに、物質の構成をどんどん遡っていくと、最終的には何らかの粒子にたどり着く(これを「素粒子」と呼びます。)、ということが想像できるかと思います。
これは裏返せば、物質としての人間は素粒子によって構成されている、ということになります。
思考も波動である
人間の「こころ」である「思考」は脳内の電気信号によって行われます。
電気信号も電子という物質的な流れになりますから、実は「思考」も物質的に捉えることができるので、これもつまるところ素粒子によって構成されている、ということになります。
ちょっと不思議な感じがしますね…
目に見える物質的な存在であればまだしも、目に見えない「こころ」とか「思考」が、実は物質的な存在であり、粒子によって構成されていると考えるのは…
でも、「思考」も脳内の電気信号である以上、そう理解せざるをえないことになります。
粒子性と波動性
さて、ここから少しややこしいのですが、物理学という学問の中に、「素粒子」についてとことん考えていく学問分野として量子論と呼ばれる分野があります。
「量子論」の研究によれば、物質を構成する素粒子は、1つ1つの粒子としての性質(粒子性)と、波のように振る舞う性質(波動性)と、両方を併せ持っていることがわかっています。
めちゃくちゃイメージ湧きにくいですね…
もしここを突っ込んで理解したい方は、粒子の粒子性と波動性について解説しているYouTube動画があるので、こちらをご覧ください。
めっちゃわかりやすいです!
細かな理解はさておき、こうした「量子論」の研究からわかることは、私たちが認識している物体というのは、物理的に固まった確たる物として存在しているように見えるけれど、実は、波のように波動性を持つものとしても存在していて、ある種の不安定さというか、不確定性をもって存在しているということです。
これもめっちゃわかりにくいですね…
たとえば、量子論の世界では、「月は人間が見ていない間は存在しない。見たときに初めて存在する。」という議論があります。
つまり、物質は波動性を持って存在しているので、存在が認識されない間は、波のように漂うフワフワとした存在だけれど、存在が認識された途端に、粒子性をもって確たるものとして存在するというような理解です。
これを人間に当てはめると、誰かが認識しないと私たちは存在しない…ということになります。
この話で思い出すのが、映画『マトリックス』のある場面です。
(記憶を辿りながらなので、微妙に間違っていたらごめんなさい…)
キアヌリーブス演じるネオが本当に救世主なのかを占ってもらうために、トリニティーと一緒に占い師?のおばさんのところを訪問するシーンがあります。
占い師と出会ったネオは開口一番、「そこの花瓶に気をつけてね」と声をかけられます。
その瞬間、花瓶を意識したネオは、わざわざ花瓶の存在を確認しようと振り向いたその刹那、ネオの体が花瓶に接触してしまい、その花瓶を割ることになるシーンです。
ネオにとって花瓶に注意するよう言われるまでは、花瓶は存在しませんでした。
でも、花瓶のことを注意された瞬間、ネオの世界に花瓶が存在することになったのです。
まさにこれが粒子性と波動性の話の良い例かと。
いずれにしても、私たちの存在というのは波動性によっても構成されていると考えて良いと思います。
そう考えると、あらゆる物質存在、思考的存在が、実は粒子から構成され、波動性を有している、つまり、宇宙は波動によっても成立していると考えられるのです。
神社とは願いによる粒子の波動が蓄積された場所
それでは、物質的存在だけでなく、思考的存在も波動性を有するものとして考えを進めていきましょう。
思考は場に影響する
まず、ここでまた1つ整理したいのが、思考も波動だとすると、人が思考した場合、その場に何かしら波動による影響が残るのではないか、ということについてです。
結論的としては、思考は場に影響を与えると考えます。
先ほど紹介したように、量子論においては、認識によって存在が確定するという考え方があります。
マトリックスの花瓶の例が良い例ですよね。
そもそも存在しなかった花瓶は、ネオによって認識されることで存在が確定したのです。
これはまさに思考が場に影響を与えたといえるでしょう。
もちろん、どれほどの思考がどれほど場に影響を与えるのかということについてはわかりません。
量子論からの論理的な帰結として、少なからず影響を与えるだろうということです。
祈りが神社という場に与える影響
思考が場に影響を与えるとした場合、神社での「願い」とか「祈り」はどう考えたら良いのでしょうか。
人の「願い」とか「祈り」というのは、思考の一種ですから、「願い」も「祈り」もある種の波動だといえます。
そうすると、神社というのは、人々の「願い」や「祈り」がなされる場所ですから、その思考は神社という場に何かしらの影響を与えることになります。
おそらくは、祈りが場に与える影響というのは、ごくごく微量なものだと思われます。
ただ、古い神社なら千年以上にわたり、人々の願いや祈りが蓄積しています。
膨大な量の願いや祈りです。
1つ1つはごく微量ながらも、膨大な量の願いや祈りの波動を蓄積した神社には、願いや祈りが叶いやすい波動が生まれていることになります。
とりわけ千年以上も続く神社というのは、その間ずっと願いや祈りが叶う場として認識されてきたわけですから、そうした認知の波動は、いつしか神社の波動を願いや祈りが叶いやすい場としての波動へと変えていったと思われます。
おそらく、世間一般で言う神社ごとの「ご利益」というのは、神社が持つ固有の波動から導かれたものです。
安産のご利益が謳われる神社というのは、多くの人がそのように認識してきたことで、安産しやすい波動を有するに至っているのです。
つまり、神社には、「願い」「祈り」を叶えるための場の波動が維持されているのです。
参拝をくり返すほどに波動が変化する
そうすると、神社参拝をくり返せばくり返すほど、神社という場に蓄積した波動は、あなたに浸透しやすくなっていきます。
つまりは、それだけ願いが叶いやすい体質に変化していく、ということです。
なので、神社参拝というのは、お参りすればするほど意味があるということになります。
たしかに、年に1回、初詣するだけでも、波動の変化はゼロではないでしょう。
ただ、年に1回だけでは、ご祈祷などによる、よほど強い波動でない限り、人生に変化を起こすほどには至りません。
究極の神社参拝
量子論から考えると、できるだけ神社参拝の数を増やした方が良いということになりますが、その他にも神社参拝についての理解が導かれます。
神社参拝では、あなた自身が発する波動を、願いが叶いやすい波動に変化させることが大切ですが、そのためには、回数を増やすのはもちろん、願いを叶えた自分というのはどういうイメージになるのか、それを神社で再現しながら味わうことが重要です。
たとえば、
- 願いが叶ったときのあなたはどんな感覚ですか?
- よろこびの度合いは?
- 他人にはどんなふうに接する?
- 自分に対する認識は(自分ならやれると自信がついているかどうか、とか)?
こうしたことをよりリアルに想像、再現してみます。
こうすることで、あなたが発する波動が、願いを叶えるための神社に蓄積された波動へと近づいていくのです。
そして、こうした参拝の手法を重視するがゆえに、これまで言われてきたような、お賽銭とか、二礼二拍手一礼とか、手水舎でのお清めとか、気にする必要はありません。
できるだけ頻繁に、作法にとらわれず、神社の波動を味わうことに重点を置いてください。
お賽銭も含めた作法は、初詣など節目節目のお参りの際に大切にしてもらえれば結構です。
日々、朝に夕に参拝する際は気にする必要はないのです。
以上、究極の神社参拝についてまとめると、
- 神社参拝は自分の波動を神社の波動に近づけることに意味がある
- お参りすればするほど波動は変化しやすくなる
- 願いが叶ったときの感覚を味わいまくる
- 日々のお参りでお賽銭はいらない
- 作法や服装も気にしなくていい
となります。
ただし、節目節目の参拝では作法に則りお参りしてくださいね。
例えば、
- 拝殿でご祈祷する場合(通過儀礼的なご祈祷など)
- 季節の節目にお参りする場合(初詣など)
- 「特別な神社」(たとえばお伊勢参り)としてお参りする場合
などの場合です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ぜひ本当の神社参拝の仕方を知って、実生活に変化を起こしてくださいね。
≪…実は、波のように波動性を持つものとしても存在していて、ある種の不安定さというか、不確定性をもって存在している…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)からの『幻のマスキングテープ』で観ると、
[進み行く素数]=[ある既素数]+[ある既素数]-[1]
が存在するとか・・・
この関係は、偶力の円にイメージされ、円周(2π)の[2]が、波動に象徴か・・・
[進み行く素数]は、素数円で電子軌道のようだ・・・
虚明自照さま
コメントありがとうございます!
難解ですが虚明自照さまのコメントからは何かしらの真理を感じます。
大変勉強になります。
虚明自照さまの益々の弥栄を祈念いたします。