京都市北区にある金攫八幡宮です。
「平野の夜桜」で有名な平野神社から西大路通を挟んで北西側。
別記事で紹介したわら天神の少し南側。
そこに金攫八幡宮という小さな神社があります。
本当に地元の人たちに密着型した社務所もないような小さな神社です。
地元民でもないきつねがなぜこのような小さな神社とご縁があったのか…
それはきつねの長男が受験する予定の中学校近くの神社で、どうやら志望校が所在する土地の産土神だと考えられたから。
あまり知られていないことなんですが、会社の面接試験や大切な取引の際、あるいは学校の入学試験の際などは、就職希望先の会社、取引先の会社、学校の産土神にお参りすると良いと言われています。
産土神の確認の仕方やご挨拶としての参拝については別の記事で紹介させてもらうとして、京都府神社庁から始まる問い合わせの旅の結果たどり着いたのがこの金攫八幡神社だったんです。
失礼ながら、「聞いたことない神社だな…」と思いつつ、一応下調べをして家族で合格祈願のお参りをしたのですが、境内に入ると整えられた高いエネルギー空間に心が引き締まりました。
訪れたのは1月中旬だったので、地元の人たち数名でとんど焼きをされていました。
その様子を見ていると、「なるほど、地元の方たちに愛されてるからこそ、こんな高いエネルギーが維持された神社なんだな」と納得したしだい。
こちらの神社で受験のご挨拶や合格祈願を済ませて、その後息子が無事志望校に合格することができたのは、もちろん北野天満宮など崇敬神社での合格祈願も行いましたが、こちらの八幡さまにお参りした効果が大きかったと考えています。
というわけで今回の記事では金攫八幡宮について紹介していきましょう。
由緒・御祭神
ご祭神は、
応神天皇
応神天皇は、父・仲哀天皇、母・神功皇后の第四皇子として誕生し、第十五代天皇となります。
神功皇后が朝鮮半島の新羅征伐から帰られた直後、筑紫でお産みになったとされます。
応神天皇はのちに八幡信仰と結びつくことになりますが、八幡神社といえば、日本で最も多くの末社を持つ神社であり、こちらの金攫八幡宮もその1つということになります。
応神天皇は、熾烈な後継争いを勝ち抜いて天皇となります。
また、応神天皇の時代には、『論語』、『千文字』(漢字を学ぶための教科書)が伝わり、インフラ整備など、大陸から情報を得て国家の安泰と産業の振興に尽力されたとされます。
そして『古事記』によると、応神天皇は130歳で崩御されたと伝えられています。
こうしたことから金攫八幡宮のご神徳は、
- 殖産興業
- 健康長寿
とされています。
なぜ「金攫」という名称が付いているのか、おそらく「一攫千金」ともつながるのだろうと思いますが、由緒では明らかにされていません。
以下に由緒書を書き起こします。
当、八幡宮(はちまんぐう)は小北山八幡宮(おぎたやまはちまんぐう)とも呼ばれ、約330年前貞享(ていきょう)二年卯正月(一六八五年)山城国石清水八幡宮(やましろのくにしみずはちまんぐう)より御分霊(ごぶんれい)、この地山城国葛野群衣笠村字小北山(やましろのくにかどのぐんきぬがさむらあざおぎたやま)の産土(うぶすながみ)として大神(おおかみ)を崇敬信仰(すうけいしんこう)する人々が加護(かご)を受け今日に至っています。
祭神(さいじん)は応神天皇(おうじんてんのう)で仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇子(おうじ)、御母(おんはは)は功宮皇后(じんぐうこうごう)であります。
御在世(ございせい)の御名(おんみょう)を大鞆別尊(おおともわけのみこと)と申し一に譽田別尊(ほんだわけのみこと)とも胎中天皇(たいちゅうてんのう)とも称せられます。
天皇の御神徳(ごしんとく)は我国文教(わがくにぶんきょう)の祖(そ)、殖産興業(しょくさんこうぎょう)の守護神(しゅごしん)として崇(あが)められ殊に御長寿(ごちょうじゅ)なるを以って延寿(えんじゅ)の大神(おおかみ)として厚く崇敬(すうけい)されています。
奉遷(ほうせん)より社頭(しゃとう)の付近は田圃(たんぼ)の間に僅少(きんしょう)の人家が散在(さんざい)する状態でありましたが今日では住所も京都市北区平野桜木町(きょうとしきたくひらのさくらぎちょう)となり京都(みやこ)の西北の一角で人々に親しまれる八幡宮(はちまんぐう)として存在しています。
また、境内東側(境内東側)の大きな木は、「黄金(こがね)モチ」の木で年中赤い実を湛(たた)えお参りの皆様をお迎えしています。
本殿は昭和四十二年秋に改修(かいしゅう)され、それまでの桧皮葺屋根(ひわだぶきやね)から銅葺屋根(どうぶきやね)に改め現在に至っています。
平成二十八年九月 八幡宮(はちまんぐう)
境内案内
西大路通からの鳥居です。
その反対側からはこのような鳥居が建ちます。
お隣の浄土宗西徳寺さんのお地蔵さんでしょうか。
境内に入ると、手水舎が。
この画像は1月ではなく2月に志望校合格のお礼参りの際のものです。
1月のとんど焼きまでは水が湛えられていたように思います。
こちらが本殿
その隣に、稲荷社が建ちます。
石碑もあり。
皇太子が結婚された際の記念事業として石碑を建てられたのでしょうか。
由緒書にもある黄金モチの木の写真が撮れてなかったので、他の人のツイートから紹介させてもらいます。
金攫八幡宮(おわり)境内東側には、クロガネモチの木があり、これが、黄金モチの木と呼ばれている。なんか幹のコブがご利益ありそう。御金神社と並んで、京都金運神社の一つに認定か?w #金攫八幡宮 #神社 #京都 pic.twitter.com/3J3mjlV8EK
— ふらっと神社はじめました @京都 (@7HFyszw10FfLSa6) April 3, 2018
アクセス
小さな神社ですから、もちろん駐車場なんてありません。
あまり大きな声では言えませんが、近くには駐車場のあるレストランが多いので、そこで駐車して食事した後、ほんのちょっとだけ腹ごなしに散歩がてらお参りする感じです。
なんにしてもわら天神を目指していけば本当に近いのでまずはわら天神を目指してください。
ちなみにわら天神へのバスは、
- JR京都駅より 市バス50号、急行101号、205号
- 地下鉄北大路駅より 市バス204号、205号
- 京阪三条駅より 市バス15号
- 阪急西院駅より 市バス205号
となります。
金攫天満宮
住所:京都府京都市北区平野桜木町2−1