神社散歩

神道界の怪物を生んだ吉田神社の見どころは?お守り・御朱印・駐車場も紹介します

きつね
きつね
今回のきつねの神社散歩は、神道界の怪物と呼ばれた、あの吉田兼倶(かねとも)を生んだ吉田神社
やっとお参りする時がきました!

今回の神社散歩は、きつね宅から車で20分ほどの場所にある吉田神社。

京都大学のすぐそばの吉田山に鎮座しています。

なにかとよく通る道のそばにあるので、ものすごく気になっていた神社です。

ただ、なまじ自宅から近いだけになかなか参拝する機会もなかったんですね…

ところが!

最近読んだ『神道の逆襲』(菅野覚明)という本の中で紹介されている吉田兼倶の傑物ぶりに、大いに感銘を受け、これは一度吉田神社にお参りしなきゃ!ということで急遽参拝することになりました。

で、実際に参拝してみると…

いや、想像以上に素晴らしい神社です。

きつねが参拝した日がたまたま新嘗祭当日の11月23日だったこともあるのでしょうか。

めちゃくちゃエネルギーが高い神社で、よく整えられた清々しい雰囲気に満ちています

いっぺんに大ファンになりました!

きつね的にも自信をもって紹介できる神社の1つです。

それでは吉田神社を一緒に巡っていきましょう♪

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由緒・御祭神

祭神として、

  • 健御賀豆知命(タケミカヅチノミコト)
  • 伊波比主命(イワイヌシノミコト)
  • 天之子八根命(アメノコヤネノミコト)
  • 比売神(ヒメガミ)

の四柱を祀ります。

健御賀豆知命伊波比主命の二神は、「古事記」「日本書紀」に、その神徳が伝わっていますが、天津神の詔により、葦原中国(あしわらのなかつくに)に降り、大国主命が営む国を天孫に譲らせ、乱れた国土を平定する大功を立てられた神です。

天之子八根命は、天照大神が天岩戸にお隠れになった際、太祝詞を奏して祈られた神であり、皇孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の降臨に従われた神となります。

比売神はその妃の神です。

吉田神社は、859年に中納言・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が、藤原氏の氏神である春日大神を奈良・春日大社より分け移して創建されました。

春日大社、大原野神社とあわせて藤原氏の氏神三社に数えられます。

山蔭の孫娘の子・詮子(あきこ)が一条天皇の生母となってからは、公祭に関わるように定められ、朝廷からも尊崇を受けるようになります。

吉田神社の建つ吉田山は標高100メートル余り。

山というより丘ですね。

神が集まる岡という意味の神楽岡(かぐらおか)とも呼ばれるくらい、昔から神聖な場所と考えられてきました。

神道界の怪物の異名をもつ吉田兼倶は、吉田神社の社家・吉田家が輩出した人物です。

吉田家は多くの学者や文人が出ていて、あの『徒然草』で有名な吉田兼好もその1人。

兼倶は、室町時代に登場し、「神道は儒教・仏教の根源」という主旨の吉田神道を確立します。

神道の宗教性を格段に高めた人物と理解すればよいでしょうか。

山頂近くの大元宮は、吉田神道の根本をなす道場です。

「始まりの神」とされる虚無大元尊神(きょむたいげんそんしん)を中心に、全国八百万の神々が祀られています。

吉田神社の由緒書

 清和天皇の貞観元年(八五九)四月、古くからの霊城であったこの吉田山に、中納言藤原山蔭卿が平安京の鎮守神として春日の四神を勧請し、以来、朝廷の信仰も厚く、正暦(しょうれき)二年(九九一)には、朝廷からの特別区の幣帛を受ける二十二の社「二十二社」の前身である十九社奉幣に列する。
 次いで、室町時代の中頃、神官の吉田(卜部)兼倶(うらべかねとも)が吉田神道(唯一神道)を大成し、山上に斎場所大元宮(だいげんぐう)を造営してから、吉田流神道の総家として明治に至るまで神道界に大きな権威を誇った。大元宮(重要文化財)には全国の神々が祀られ、ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があると信仰されている。
 本殿は慶安年間(一六四八〜一六五一)の建築で、朱塗春日造である。境内には、大元宮のほか、地域の民神・雷除神として有名な神楽岡社(かぐらおか)、吉田兼倶を祀る神龍社、料理の神を祀る山蔭神社、お菓子の神を祀る菓祖神社など多彩な末社、摂社が多い。
 毎年節分の日を中心に三日間行われる節分際は、疫神祭(えきじんさい)・追儺式(ついなしき)・火炉祭(かろさい)の三部に分かれ、追儺式は「鬼やらい」として特に有名で、毎年多数の参拝者でにぎわう。

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境内案内

京都大学の時計台の前を通るとすぐに一の鳥居が見えてきます。

【一の鳥居】

そしてすぐに二の鳥居が。

【二の鳥居】

階段途中の紅葉がきれいだ…

二の鳥居手前には手水舎があります。

【手水舎】

コロナ予防のため柄杓は使いません。

二の鳥居横には今宮社が。

【今宮社】

吉田町の産土神としてお祀りされています。

ご祭神は、

  • 大己貴神(オオムナチノカミ)
  • 大山祇神(オオヤマヅミノカミ)
  • 健速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)

二の鳥居をくぐって本宮への階段を上ります。

【本宮への階段】

上り終えると正面に神鹿の像が。

【神鹿】

言い伝えによると、春日の神さまは神鹿により吉田山にやってこられたそうです。

【細石(さざれいし)】

神鹿の横の細石。

神鹿と細石の正面左側に本宮があります。

【本宮】

本当に清々しい空気に満ちています。

ちょうどこの日新嘗祭が執り行われていたということもあるかも…

新嘗祭において奏でられる雅楽を少しばかりお楽しみください。

翌週訪れた際の本宮もお楽しみください。

本宮前には神楽殿が。

その横から神楽岡社につながる階段が伸びています。

【神楽岡社】

ご祭神は、

  • 大雷神(オオイカヅチノカミ)
  • 大山祇神(オオヤマヅミノカミ)
  • 高龗神(タカオカミノカミ)

 

水を司る神・雷除の神で神楽岡町地主の神として御神徳があります。

先ほどの神鹿と細石に戻ると、その左右に若宮社、神龍社があります。

【若宮社】

ご祭神は、

天忍雲根命(アメノオシクモネノミコト)

本宮の天之子八根命と比売神の御子で、天孫のために天二上(あめのふたがみ)に上って、御膳水(みけつみづ)
を請うて献奉った水徳の神としてご神徳があります。

【神龍社】

ご祭神は、

従二位 卜部兼倶(うらべかねとも)朝臣

卜部(吉田)兼倶をお祭りしています。

さらに、二の鳥居から上がってきた階段の方向へ戻ります。

すると、階段側から右手のほうを見ると二股に分かれた道があることに気がつきます。

右手側に進むと大元宮や山蔭神社、三社社、竹中稲荷社があります。

右手から進んでいくとすぐに山蔭神社が見えます。

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【山蔭神社】

ご祭神は、

藤原山蔭

冒頭の吉田神社の由緒のところで紹介した、当神社の創建に関わった人物ですね。

実はこの山蔭さま、日本で初めて食べ物を調理したといわれています。
(どういうこと!?)

そのため、包丁の神・料理飲食の神さまとして飲食業社の参拝が多いそうです。

山蔭社から先に進むとすぐに大元宮が見えます。

【大元宮】

残念ながら大元宮の中には入ることができませんでした。

ご祭神は、

天神地祇八百萬神(アマツカミクニツカミヤオヨロヅノカミ)
東神明社 天照皇大神
西神明社 豊宇氣比売神
東西諸神社 式内神3132座

吉田神道においては、「始まりの神」(虚無大元尊神)(きょむたいげんそんしん)を中心に祀り、そこから生まれる八百万の神々も祀ることで、全国の神々を祀る社と考えられています。

当時神社でお祀りされていた神々の大元は全てここからという大胆な思想で神道界に数百年も影響を与え続ける礎がここから生まれたんですね。

今でも大元宮で行われる節分祭の厄除祈願とか、参拝者が殺到する状況のようです。

節分際に行ってみたいな…

こちらの大元宮には、

  • 正月3日間
  • 節分祭
  • 毎月1日

に限り特別参拝できるそうですよ!

そして、大元宮の正面には三社社が。

【三社社】

ご祭神は、

  • 多紀理毘売命(タギリヒメノミコト)
  • 狭依毘売命(サヨリヒメノミコト)
  • 多岐津毘売命(タキツヒメノミコト)
  • 金山毘古命(カナヤマヒコノミコト)
  • 金山毘売命(カナヤマヒコメノミコト)
  • 菅原神(スガワラノカミ)

1844年に吉田家の邸内から遷座し、明治5年に吉田神社の末社となりました。

大元宮と三者社の間の鳥居をさらに進むと竹中稲荷社があります。

なお、竹中稲荷社の目の前には黒住教の宗忠神社があります。
>>>宗忠神社参拝は工事中

【竹中稲荷社】

ご祭神は、

  • 宇賀御魂神(ウガノミタマノカミ)
  • 猿田彦神(サルタヒコノカミ)
  • 天鈿女神(アメノウズメノカミ)

稲荷社ですので商売繁盛のご神徳があります。

由緒の詳細は不明とのことですが、当地に造営されたのは1840年のことで、明治5年に吉田神社の末社となりました。

竹中稲荷社の境内には天満宮社もあります。

【天満宮社】

ご祭神は、

菅原道真公

1852年に地福院から遷座。

明治5年に吉田神社の末社となりました。

それでは元来た道を二の鳥居の階段を上がった二股のところまで戻ります。

もう一方の道を進むと菓祖神社です。

【菓祖神社】

ご祭神は、

  • 田道間守命(タヂマモリノミコト)
  • 林浄因命(ハヤシジョウインノミコト)

田道間守命は果物の祖といわれる橘を日本に持ち帰ったとされます。

また、林浄因命は日本で初めて饅頭をつくったとされます。

2柱を菓子の祖神として祀る社です。

京都を中心に多くの菓子業界の方々から信仰を集めているそうです。

以上で一通りお参りが完了です!

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お守り・御朱印・おみくじ

お守りの種類は少ないです。

吉田神社独特のお守りとして大元宮御守がありましたのでこちらをお受けしました。

御朱印を頂いたのが令和2年11月のことで新型コロナの第3波が襲ってきつつある頃でしたが、その場で御朱印を手書きしていただきました。

こちらの御朱印のみです。

御朱印からもエネルギーの高さを感じますね!

おみくじには通常のおみくじとダルマみくじの2種類があります。

もちろんきつねはダルマみくじにチャレンジ!

結果は、「末吉」でした!

おみくじで大切なことは運勢に一喜一憂せずに神さまからのメッセージを受け取ること。

神さまからいただいたアドバイスを真摯に受け止めます。

開運につながるおみくじの活かし方|大吉も大凶も関係なし!最強の活用法教えます 冒頭の牛太郎みたいに、おみくじの運勢に一喜一憂することってありますよね。 もちろんきつねもその...

駐車場

境内に駐車場があって無料で停められるのがありがたいです。

最初どうやって車で入ればよいかわからなかったのですが、二の鳥居横にアスファルトの道路が境内に伸びてますので、そこを通ればすぐです。

二の鳥居を横切る必要があるのでちょっとためらいますが大丈夫です。

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まとめ

吉田神社の清々しいパワーを感じていただけましたでしょうか?

もしこのエネルギーが伝わらなかったとしたら全ての責任はきつねにあります。

でも、この神社は本当にすごいエネルギーなので、ぜひ一度お参りしてください!

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

みなさまの開運を心よりお祈りいたします。

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