若一神社の近くにコメダ珈琲店(西大路八条店)があります。
実は、きつねは息子が通っていた中学受験の塾が月に数度、若一神社から車で10分ほど離れた桂駅で開校されていたので、送迎の待ち時間はいつもコメダ珈琲で時間を潰してたんです。
近くを通るたびに若一神社が気になっていたのですが、このたび西大路七福社のご利益めぐりの一社ということでやっとお参りさせてもらうことになりました。
やはり平清盛が絡んでいるためか、全体的に重たく力強いパワーを感じました。
清盛が植えたとされる楠や、清盛の高熱を回復させたといわれる御神水など、清盛にまつわる話が満載の神社です。
また、お参りして初めて知ったのですが、こちらの神社には座敷童がいらっしゃるとか…
それでは若一神社を一緒にお参りしていきましょう。
由緒・御祭神
御祭神は
若一王子
若一王子は神仏習合の神で、熊野三山に祀られている熊野十二所権現の1つに数えられます。
十一面観音が日本古来の神様である天照大神(=若一王子)として現れたと考えられています。
唐から来られた威光上人が熊野にお参りした際に、民衆を救うことを決意され、若一王子の御神体を背負って熊野を出立し、この地で一夜を過ごされた時に若一王子の御身体を安置されます。
それが宝亀3年(772年)の話。
その後、天変地異により若一王子の御神体は土中に埋もれることになります。
御神体が安置されてから400年ほど後、平清盛がこの地に別荘を造営します(=西八条御所)。
そして仁安元年(1166年)、熊野を参拝した清盛はお告げを受けます。
「土中に埋もれた御身体を掘り起こしてお祀りしなさい」と。
こうして清盛は土中から御身体を発見し、社を造ってお祀りして開運出世を祈ります。
すると、翌仁安2年に太政大臣へと出世しました。
こうしたことから若一王子の御神徳は、
開運出世
と考えられているのです。
由緒書より
光仁天皇の御代、唐より威光上人来り、天王寺に住し、紀州熊野に詣でし折り、 迷い苦しむ人々を救わんと、御分霊若一王子の御神体を笈に負い旅立ち当地に来り、 森の中の古堂に一夜を明かし御神意に従い堂中に安置し奉斎鎮座し給う。
宝亀3年(772年)なり。
其の後、異変により、土中に入り給う。
平清盛公、六波羅在住の頃、此の地は浅水の森と称し風光明媚なる処、 承安年中此の地に別邸造営在住す。西八条御所と唱り。
仁安元年(1166年)8月、熊野詣で給う時、御告げあり、土中に隠れたる御神体、世に出し奉斎せよ。
平清盛公、帰京の後、公が邸内探したる所、東方築山より夜光を放つ。 清盛公歓喜して自ら三尺穿ち給へば土中より若一王子の御神体現わる。
社を造り鎮守し開運出世を祈り給へば、翌年仁安2年(1167年)2月10日太政大臣に任ぜられる。
故に、開運出世の神様と尊崇される所以也。
社前の楠の大樹は清盛公御手植と伝へられる御神木也。
当時、西八条殿は50余の邸があったと伝へられる。
境内案内
西大路通に面して鳥居が建てられています。
【鳥居】
【御神木の楠】
境内の中に榊があります。
ただ、境内の外にも平清盛が植えたとされる楠がお祀りされています。
境内外の榊については後ほど座敷童の話と合わせてくわしく紹介します。
【手水舎】
鳥居をくぐると右手に手水舎が。
【平清盛像】
手水舎のすぐ側には平清盛像
【祖霊社と稲荷社】
画像の左側が祖霊社で右側が稲荷社となります。
祖霊社では奉仕された神職さんや氏子総代を務められた方達の御霊をお祀りしています。
稲荷社は伏見稲荷神社から勧請されたもの。
【本殿】
鳥居をくぐって正面に本殿はなく、祖霊社と稲荷社を左手に見ながら進むと、そのすぐ隣に本殿があります。
【社務所】
鳥居をくぐって真正面にあるのが社務所
【神供水】
社務所から右手に進むとすぐに目に入るのが御神水
古くから銘水として知られる地下水だそうです。
開運出世の水、産湯の水としても有名です。
誰でもいただくことができますよ。
【歌碑】
歌碑に刻まれた歌は平家物語中の祇王のものだとか。
「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
歌碑の隣には水みくじを見るための鉢が置かれています。
【その他】
境内の真ん中の池は印象に残りました。
鳥居に向かって左側には車祓所も。
末社
歌碑から進むと末社が
【寿命社】
御祭神は
尉(じょう)と姥(うば)
イザナギノミコトとイザナミノミコトが姿を変えられたとも言われ、良縁や夫婦和合の象徴です。
御神徳は
- 良縁
- 夫婦円満
- 家内安全
- 健康長寿
【弁財天社】
御祭神は
弁財天
七福神で唯一の女神。
水を神格化したもので、言語や音楽の神様として崇敬されます。
御神徳
- 福徳円満
- 財運
- 技芸上達
お手植えの楠と座敷童
さあ、それでは境内外の清盛お手植えとされる楠を見ていきましょう。
歩道からの高さ1メートル程度のところに御神木をお祀りする空間があります。
実はこちらの御神木を切らないよう、南北の西大路通は少し曲がっているんですね。
京都の方はそれくらいこの御神木の御神威を大切にされているということですね。
で、冒頭に紹介した座敷童のお話ですが、こちらの楠の一角にはこのような注意書きがあります。
めっちゃ気になりますよね?
社務所の方に尋ねてみると、なんでもこちらの書籍で紹介されているように、御神木には座敷童がいらっしゃるんだとか。
参拝者のみなさんから尋ねられるようで社務所に予め用意されていました。
さっそくきつねもこちらの電子書籍を購入して読んでみると、御神木にいらっしゃる座敷童は全部で12体いらっしゃるそうです。
今は4体が出かけていて、8体が桜井さんには見えたのだとか。
平清盛には4体の座敷童がついていたため、平家のあの超絶覇権の物語は座敷童のおかげである可能性が高いと。
ただ、清盛没後、座敷童も去ってしまったため、平家滅亡につながったのかもしれないという見立てでした。
こちらの書籍には座敷童を家に招き、長く居てもらう方法について紹介されていますのでぜひチェックしてみてくださいね。
お守り、お札、御朱印紹介
開運出世のお守りにご利益がありそうですよね。
あとは座敷童のお守りなんかもありましたよ。
お受けした御朱印はこちら。
アクセス
JR西大路駅から徒歩で5分ちょっとですのでお参りしやすい場所にあります。
住所:京都府下京区七条御所ノ内本町98