“アマツノリト“という響きからも、なんだかすごいパワーを秘めた祝詞のような気がしてきますよね。
たしかに天津祝詞は強力な祓詞として知る人ぞ知る祝詞。
ただ、その一方で謎も多い祝詞です。
今回はそんな天津祝詞について紹介していきたいと思います。
成立・由来
実は、天津祝詞自体がどういう祝詞なのかはっきりしていません。
今でも諸説あります。
ただ、「天津祝詞」というコトバ自体は大祓詞の中段あたりに登場します。
「かく出でば、〜 天津祝詞の太祝詞事を宣れ。かく宣らば、天津神は〜 短山の伊穂里を掻き別けて聞こし食さむ〜」
という部分ですね。
大祓詞に「天津祝詞の太祝詞事」と出てくるのに中身がはっきりしないという実に不思議な祝詞なのです。
そのため、天津祝詞についていろんな考え方が出てきて、今でも神道界では論争の対象となっています。
天津祝詞について詳しく解説されている北海道にある新川皇大神社の神主さんのブログによると、
(1)「大祓詞」の全部とする説
本居宣長 賀茂真淵(2)「大祓詞」の一部とする説
出口延佳(どこかは明言せず)(3)他にあって、また別な場面で唱えるとする説
平田篤胤(禊祓詞を編む) 大国隆正(トホカミエミタメ)(4)他にあって、奏上中に唱えるとする説
荷田在満 折口信夫 吉田神道
と、4つの考え方が解説されています。
このうち、(1)はシンプルでわかりやすいのですが、実は「天津祝詞」が登場する祝詞は大祓詞だけじゃありません。
『延喜式』祝詞二八篇のうち、「鎮火祭(ほしづめのまつり)」はその祝詞が「天都詞太詞事」「天津祝詞の太祝詞事」、また、「道饗祭(みちあえのまつり)」「六月月次祭(みなづきのつきなみのまつり)」「同神嘗祭(おなじくかむにへのまつり)」でも「天津祝詞の太祝詞(事)」と登場するんですね。
こんな状況から、きつね的には、「天津祝詞」というコトバが登場した祝詞を天津祝詞と定義してしまうと、天津祝詞が乱立してしまうことになるなぁと感じるところです。
ま、国学の大家がおっしゃってるのでもっと深遠なる理屈があるのでしょうね。
(2)は(1)の理由もありますし、ちょっとはっきりしませんね。
(3)をとばします。
(4)を説明する前に…
そもそもなんですが、大祓詞を奏上するときは、「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」という箇所で平伏し、一呼吸〜二呼吸おいてから「かく宣らば〜」と続けます。
昔はここで、斎場の灯火を一斉に消して、浄暗のなかで斎主が微音で神霊な呪文(神呪)を唱えたと言われています。
そして(4)は、このとき斎主が唱えた神呪こそが「天津祝詞」だという考え方です。
このうち、吉田神道ではこの秘詞を「唯授一人」として、代々ただ一人だけに授けるものとしています。
もしかすると(4)のとおり、吉田神道で一子相伝されてきたものこそが天津祝詞かも知れませんが、そうなると我々は知る術がなくなってしまうので、ちょっと(4)を前提には考えたくないですよね。
実際のところ、今世の中で天津祝詞として広まっているのは、(3)のうち、平田篤胤が作成した祝詞です。(細かいコトバの違いはあれど)
そして平田篤胤がつくった天津祝詞は、もともとあちこちに伝わっていた、お祓いの前に唱えられていた四種の祓のコトバを取捨選択して一つに集めたものとされています。
また、この天津祝詞が原型となって今の神社本庁の「祓詞」が作成されたとも考えられています。
それではそんな平田篤胤がつくったこの天津祝詞を紹介しましょう。
天津祝詞
高天原に神留り坐す 神魯岐神魯美命以ちて
皇御祖神伊弉諾尊 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓ひ給ふ時に生座る祓戸大神等
諸々の枉事罪穢を 祓ひ給へ浄め賜へと申す事の由を
天津神国津神八百万の神等共に 天の斑駒の耳振り立てて
聞食せと恐み恐みも白す
現代語訳
天上界の高天原にいらっしゃる尊貴な男女の神々のおっしゃることを承った天皇陛下の親神であるイザナギノミコトが、筑紫にある日向の橘というところの小さな水門の側にある阿波岐原で、(身の罪や穢を)水に浸かって洗い清めなさった時にお生まれになった祓戸(という、祓えするための場所)を守る(四柱の)神々が、すべての悪いこと、災いを招くことを除いてくださり清めてくださいと、(祓戸の神々に)申し上げることを、天上界の神も地上界の神も、その他多数の神々も、斑模様のある天馬が耳を振り立てるようにして、一緒にお聞き入れください、と、(こうして神の前で)申し上げる(次第である)。
まとめ
単純に天津祝詞といってもなかなか奥深いですね。
そもそも天津祝詞がなんなのかがはっきりしないくらいなんですから。
ただ、実際のところ多少の違いはあれど、天津祝詞として広く浸透しているのはこの記事で紹介した祝詞だろうと思います。
きつね的にはこちらの天津祝詞は大祓詞のパワーをギュッと濃縮したような祝詞だと感じます。
大祓祝詞は長いので毎日唱えるのはちょっとしんどいなと感じるなら、こちらの天津祝詞で祓いの効果を実感してみてくださいね。
それでは最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。
みなさんの開運を心より祈念いたします。
こんばんは。祝詞の事、勉強になります。それで質問があるのですが神道でなく仏教の方ですが、祝詞の事を色々調べていた時にあるサイトの記事に夜にお経を唱えるのはNGだそうで、それをやると良くない物が救いを求めて寄ってくるそうですが、これは夜に祝詞を唱えた時も同じような事は起こるのでしょうか?私は祝詞を唱える練習をしていますが、夜にやるのはやめた方が良いですか?あと、恥ずかしながら祝詞を唱える時雑念が入って来てしまう事があります。これは問題ありますか?
ほうじ茶様
コメントありがとうございます。
夜に祝詞を唱えることがいけない、というのは少なくとも神道の祝詞については聞いたことはないですね。
たしかに、朝、日が昇るとともに神さまのパワーが高まっていくので、朝に祝詞を奏上するほうが効果的ではあるとおもいますが、夜唱えることが良くない、ということではないでしょう。
(実際、私は昼夜問わず、例えば、夜お風呂に浸かりながら唱えたりしていますよ^^)
雑念の件ですが、まずは唱えること自体に意味がありますので、それは気にしなくても良いです。
ブログでも繰り返していますが、大切なことは、細々とでも続けていくことです。
(いつも相談している神主さんからもそう言われています。)
私の場合は、雑念が浮かんでこようが気にせずに、祝詞奏上で感じる心地良さを意識するようにしています。
祝詞を奏上することは脳を刺激したり、口を動かすことが身体運動にも繋がってますからね。
ということで、時間帯は気にせず、どんどん祝詞を相乗していきましょう!
kaiun様
ありがとうございます。お経の事は仏教に関連する記事でそう書いてあったので、なら神道の祝詞はどうなんだろう?神仏習合の時代は長かった事もあって、気になっていました。
夜だから良くないとか気にしなくていいのですね。
おかげさまで疑問がスッキリ解決して良かったです。