神道の世界では超有名な大祓詞について、現代語訳も含めて細かく解説していきます。
大祓詞の由来・起源
毎年、6月30日の夏越の祓(なごしのはらえ)、12月31日の年越しの大祓(としこしおおはらえ)という神事において読みあげる詞なので大祓詞と呼ばれています。
そしてその起源は神代にまで遡ります。
具体的には、『日本書紀』に描かれた天岩戸の段で、「天児屋命(あまのこやねのみこと)をして、其の解除(はらへ)の太諄辞(ふとのりと)を掌りて宣らしむ」とあって、「解除の太諄辞」として大祓詞が登場するのです。
その後、平安時代に制定された『延喜式』によれば、「六月晦大祓〔十二月は之に准へ〕」として、毎年6月と12月の晦日に京都の朱雀門で、親王・諸王・諸臣・百官の人達を集め、彼らが犯したかも知れない諸々の罪・過ちを、天皇の仰せによって祓い清めるために大祓が執り行われ、この大祓の神事において大祓詞が読みあげられます。
延喜式:平安時代における法律の細かな決まりごとを定めた法典で、二十七編の祝詞も収録されている。
ちなみに、大祓詞では、『延喜式』祝詞「六月晦大祓〔十二月は之に准へ〕」の冒頭、
「集侍はれる親王・諸王・諸臣・百官人等、諸聞食(もろもろきこしめ)せと宣る。天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)へ奉(まつ)る比禮挂(ひれか)くる伴男(とものを)・手襁挂(たすき)くる伴男・靫負(ゆきお)ふ伴男・劔佩(たちは)く伴男・伴男の八十(やそ)伴男を始めて、官官(つかさづかさ)に仕へ奉る人等の、過ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、今年の六月の晦の大祓に、祓ひ給ひ清め給ふ事を、諸聞食せと宣る」
を削ることにくわえて、
最終部分の「〜持ち佐須良ひ失ひてむ」の後の「此く佐須良ひ失ひてば」以降を削り、
様々な神道系の宗派によって、
- 此く佐須良ひ失ひてば、罪と云ふ罪は在らじと、祓へ給ひ清め給ふ事を、天津神 国津神 八百万神等共に聞こし食(め)せと白(まを)す。(一般的 ただし、仮名遣いについては様々)
- 此く佐須良ひ失ひてば現身(うつそみ)の身にも心にも罪と云ふ罪は在らじと祓ひ給へ清め給へと白す。(黒住教など)
- 此く持ち持ち失ひてば、今日より以後、遺る罪と云ふ罪、咎と云ふ咎は有らじと、祓へ給ひ清め給ふ事を、祓戸の八百万の御神達は、佐乎志加(さをしか)の御耳(みみ)を振り立てて、聞こしめせと申す。(一部の神社や古神道系教団)
- 此く佐須良ひ失ひては、今日より始めて罪と云ふ罪は在らじと 今日の夕日の降(くだち)の大祓に祓給ひ清め給ふ事を諸聞食へと宣る。(一部の神社・神道系教団)
などの詞が付け加えられたものとなります。
平安時代において、この大祓式は、大嘗祭のときや、疫病・天災地変のときなど、あらゆる変事・災事の原因を祓うために執り行われ、この大祓詞が誦まれました。
そのため、大祓詞は「祓詞」の中の「祓詞」との異名を持っていて、まさに、「大」いなる「祓詞」となるわけです。
ちなみに、神道系教団では大祓詞を唱えることを日々の行の一環として行っていたりします。
神社神道でも神職常駐の神社では、朝拝のとき、神職が自分の霊性向上を兼ねて大祓詞を奏上しお日供(日々神饌を捧げること)をしています。
つまり、それほど大祓詞の言霊の威力が重視されているということです。
祝詞の意味はこちらで解説!
なお、大祓詞には新旧の2通りがあります。
大正3年に内務省が制定したものを新とするもので、それ以前のものを「旧」として区別します。
どこが違うかというと、大祓詞の真ん中より少し前に出てくる「天津罪」と「国津罪」の具体例を示すか示さないかです。
具体例を示して唱えるのが「旧」版、唱えないのが「新」版です。
大正期における西欧への気兼ねからと、差別的なコトバがあるため遠慮したものではないかと考えられます。
大祓詞
それでは大祓詞を紹介しましょう。
こちらが神社本庁の『神拝詞』に掲載されているものと同様のごく一般的な大祓詞となります。
八百萬神等を 神集へに集賜ひ 神議りに議賜ひて
我が皇御孫命は 豐葦原瑞穂国を 安国と平けく
知食せと 事依奉りき
此く依奉りし国中に 荒振る神等をば
神問はしに問賜ひ 神掃ひに掃賜ひて 語問ひし
磐根樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依奉りき
此く依奉りし四方の国中と 大倭日高見国を
安國と定奉りて 下つ磐根に宮柱太敷立て
高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕奉りて
天の御蔭 日の御蔭と隱坐して 安国と平けく知食さむ
国中に 成出でむ天の益人等が 過犯しけむ種種の罪事は
天つ罪 国つ罪 許許太久の罪出でむ
此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打切り 末打断ちて
千座の置座に置足はして 天つ菅そを本刈断 末刈切りて
八針に取辟きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は 天の磐門を押披きて
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞食さむ
国つ神は 高山の末 短山の末に上坐して
高山の伊褒理 短山の伊褒理を搔別けて 聞食さむ
此く聞食してば 罪と云ふ罪は在らじと
科戸の風の 天の八重雲を吹放つ事の如く
朝の御霧夕の御霧を 朝風 夕風の吹払ふ事の如く
大津辺に居る大船を 舳解放ち艫解き放ちて
大海原に押放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて
打掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓給ひ清給ふ事を
高山の末短山の末より佐久那太理に落多岐つ
速川の瀬に坐す 瀬織津比売と云ふ神 大海原に持出でなむ
此く持出往なば 荒潮の潮の八百道の
八潮道の潮の八百会に坐す
速開都比売と云ふ神 持加加呑みてむ
此く加加呑みてば 気吹戸に坐す
気吹戸主と云ふ神 根国 底国に気吹放ちてむ
此く気吹放ちてば 根国 底国に坐す
速佐須良比売と云ふ神 持佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと
祓給ひ清給ふ事を 天つ神 国つ神 八百万神等共に
聞食せと白す
現代語訳
現代語訳はこちらです。
天上界の高天原にいらっしゃる天皇陛下の親神である尊貴な男女の神々は、多くの神々を何度もお集めになり、何度も話し合いを重ねられた結果、(天照大御神の子孫である)天皇に「豊かに生い繁った葦原の美しい稲穂の実る我が国を平和で穏やかに、国民が幸せになるようにお治めなさい」と託されました。
このように委託なさったうえで、国内の乱暴な神たちに「なぜ乱暴なことをするのか」とよくよく問うたり、それでも聞かない場合は追い払うものとして一掃されました。その結果、それまでものを言って(抵抗して)いた磐や木の切り株、草の一枚の葉までを黙らせ、国内は平定されました。こうして天皇は、天界の御座所を離れて、天界の幾重にも重なる雲を押し分けに押し分けて天から地上に降りられました。
(そして)四方の国の中心として大和の国を素晴らしい太陽の高く輝く穏やかな安らかな国として定められ、地下の岩盤に届くほどの太くて堅牢な宮柱を立て、高天原に届くように千木をつけ、天皇の若々しく生き生きとした壮大な神殿をお建てになられました。
そして、天皇の神殿としてお籠もりになられ、我が国を安穏な国として平穏にお治めになられました。
しかし、そのような国の中に生まれ出た本来は立派な人々がついうっかりと犯す種々の罪が次々と増えていき、天界の罪と地上の罪といった実に多くの罪が現れることになりました。
このように犯罪が出てきたなら、高天原の神事をもって、金属のような硬い木(高天原で使われるとされる祓串用の細い木)の上下を断ち切り、祭壇を設けてたくさんの供物を供え、高天原にある麻の木(天の管そ)の上下を断ち切り、多くの針で細く引き裂いて高天原伝来の神聖な祝詞【天つ祝詞の太祝詞事】を奏上しなさい。
そのようにして祝詞を奏上すれば、天上界の神さまは頑丈な天の岩戸を押し開き、幾重にも棚引く雲を左右に押し分けて(下界の)声をお聞きになるだろう。
(そして)地上界の神さまは高い山、低い山の頂にお登りになって高い山の雲や霧も低い山の雲や霧も左右に押し分けてお聞きくださるだろう。このように天つ神と国つ神がそれぞれお聞き届けになれば、国中の罪は悉く無くなるだろう。
それはまるで科戸という風が吹き起こるところから吹く風が天空の幾重にも重なる雲を吹き飛ばすように、朝夕の霧を朝風夕風が吹き飛ばすように、大きな港に停泊している船が船首と船尾の網を解き放って大海原に押し出されるように、向こうの繁った木の根元をよく切れる鎌で切り払うように、すべての罪は祓われて後に残る罪が無いように祓い清められることを祈るのです。
高い山、低い山の頂上から直角に落ちる滝の流れの速い川にいらっしゃる瀬織津比売という神がすべての罪を大海原に持ち出してくださるでしょう。
このようにしてすべての罪を持ち出したならば、今度は荒々しい潮の流れがいくつも出遭う地点にいらっしゃる速開都比売という神がその罪を悉く手に持って飲み込んでくださるでしょう。
そして、速開都比売が罪を飲み込まれると、今度は息を吹くところにいらっしゃる気吹戸主という神が息を吹いて(その罪を)根の国、底の国に吹き飛ばしてくださるでしょう。
このように息で吹き飛ばしてくださったならば、根の国底の国にいらっしゃる速佐須良比売という神がすべての罪穢れを持ってさまよい歩きどこともなく消滅させてくださるでしょう。
このようにさまよい歩いてすべての罪穢れを失くしてくださったならば、一切の罪という罪は消滅すると神さまに祈って祓い清めてくださることを、天上界の神さまも、地上界の神さまも、すべての神さまもご一緒にお聞き入れくださいと申し入れる次第でございます。
参考動画
大祓詞奏上の練習として参考にしてくださいね。
神職でもない素人が6分間の祝詞を奏上するのはなかなかしんどいものがあります。
ただ、間違いなく感じたのは、大祓詞にはものすごいパワーが秘められているということです。
祝詞独特のリズムに身を委ねて、自分が紡ぐ言霊を感じることができれば、すごいことになるんじゃないかという予感だけはヒシヒシと感じるんですよね。
まだまだ、もっともっと大祓詞奏上の頻度を上げて、大祓詞が持つパワーを引き出していきたいと思います!
令和2年12月追記
現在、「大祓詞を毎朝奏上してから出勤しよう一人キャンペーン」を絶賛実施中です。
参加者はきつね一人(泣
で、今日でおよそ3週間が経とうとしています。
いや、はじめは5〜6分間の祝詞奏上なんてムリでしょ!
みたいに考えてましたが、違いました。
祝詞奏上、めっちゃ気持ちいい♪
です。
めっちゃ気持ちよくなるポイントは、声に出して祝詞を奏上することに気後れしないこと。
本気で、真剣に、しっかりと声を出して奏上してみてください。
そうすると、
大祓詞を真剣に奏上すると気持ちがいい
↓
気持ちがいいので毎朝の奏上が苦ではない
↓
毎朝気持ちよくお祓いしていることになる
↓
開運につながる
という正の好循環に入ることができます。
実際きつねの行動にもかなり変化が出てきました。
常にエネルギーが高い状態で、モチベーションに頼らなくても自然と行動ができるようになってます。
これまじで。
あなたも一度大祓詞を真剣に奏上してみてください。
きっとあなたの何かが変わり始めますよ!
大祓の神事についても解説していますよ。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさまの開運を心より祈念いたします。
はじめまして、現代語訳ありがとうございます♪
無断でtwitterにて紹介させていただきましたので、ご不快でしたら該当ツイート削除いたします。
玉櫛碧さま
コメントありがとうございます!
またTwitterでの紹介も感謝します!
これからもどんどん紹介してくださいね^ ^