吉田神社の参拝途中に、前々から関心のあった黒住教の神社である宗忠神社にもお参りしてきました。
きつねが辿ったルートは吉田神社からとなります。
大元宮から、さらに吉田山山頂の方向へ足を伸ばすと、竹中稲荷社の前の宗忠神社に気が付きます。
この鳥居をくぐるとすぐ右手側に宗忠神社の鳥居が見えてきます。
【勅使門】
竹中稲荷社の前の北側の鳥居となりますが、少しわかりにくいかもしれません。
それでは京都市神楽岡にある宗忠神社について紹介していきましょう。
神楽岡(吉田山)を巡るなら、吉田神社から宗忠神社のルートがおすすめですよ
由緒・御祭神
神楽岡・宗忠神社は黒住教の教祖である黒住宗忠をお祀りしています。
きつねは神道全般の理解を深めて、実生活の救いとなるような道を模索しているので、教派神道と呼ばれる神道にも関心があります。
教派神道の中でも黒住教はきつね的に一番しっくりとくる感じがする教えです。
万物一切が天照大御神のはたらきにより存在し、人はその「分心」をいただいた神の子である、という教えです。
だから、楽しく、明るく日々過ごすことこそが天照大御神の御心にかなう生き方であると。
そんなシンプルな教えだと理解しています。
きつねはこのようなシンプルな教えに惹かれて一度は黒住教の神社にお参りしてみたいなと常々考えてたんですね。
それがこの日、吉田神社のすぐ側に黒住教の神社があるとわかり、渡りに船とお参りした次第です。
さて、こちら神楽岡の宗忠神社は、1862年(文久2年)に創建されました。
江戸末期の当時、一般の民衆のみならず、朝廷でも、孝明天皇をはじめとする公家の方々の尊信を集めたと言われます。
建立されて3年後の1865年(慶応元年)には、孝明天皇が御自ら仰せ出された唯一の勅願所となりました。
そこまで歴史は古くありませんが、由緒のある神社といえそうです。
境内案内
さきほどは、境内の北側の鳥居を案内しましたが、ここからは、正面の鳥居から案内していきましょう。
【逆立ちの狛犬】
東側のメインの鳥居前には、全国でも非常にめずらしいとされる備前焼の逆立ちの狛犬が出迎えてくれます。
備前焼の狛犬、逆立ちの狛犬はそれぞれそれなりに存在するようなのですが、備前焼で逆立ちした狛犬というのは全国的にもめずらしいようです。
ただ、なぜこのような狛犬がつくられたのか、資料がないためわからないそうです。
そして正面の鳥居です。
鳥居をくぐって振り返ると真如堂の屋根が見えます。
階段途中の紅葉もすばらしい!
【宗忠鳥居】
階段を上がると、さらに鳥居が迎えてくれます。
こちらの鳥居が「宗忠鳥居」の名称の由来だそうです。
ただ、この形の鳥居の発祥というわけでもないそうで、単に、このタイプの鳥居としては他の神社よりも比較的大きな鳥居だったということで、「宗忠鳥居」と名付けられたそうです。
鳥居をくぐると、左手に社務所、右手に手水舎があります。
【手水舎】
その奥に井戸があることに気がつきます。
【ご神水井戸】
神楽岡・宗忠神社の創建に尽力された赤木忠春の発案により掘られた井戸です。
なかなか水が出ず、渾身の祈念によって一夜に真清水が湧き出たと伝えられています。
ご神前へのお供えの水は、この神井戸の水が使われているそうです。
【拝殿】
正面を見ると拝殿があります。
拝殿奥には、向かって右側に神明宮(ご祭神は天照大御神)、向かって右側に本殿(ご祭神は宗忠大明神)があり、それぞれ拝殿から参拝できます。
【忠春社】
拝殿左側に忠春社があります。
ご祭神は赤木忠春霊社
黒住宗忠の亡き後、大明神号が下賜されるよう全力を尽くし、神楽岡・宗忠神社の創建にも奔走しました。
慶応元年に「霊社号」が裁許されたとのことです。
【白山社】
拝殿右側の白山社です。
ご祭神は、菊理媛尊(白山比咩大神)、伊奘諾尊、伊弉冉尊
加賀の国の一宮である白山比咩神社のご祭神をお祀りしています。
古来、この神楽岡の地にお鎮まりになっています。
お守り・御朱印
眼病にご利益のあるお守りが有名だそうです。
というのも、8年間盲目だった赤木忠春は、黒住宗忠の講席を聴いたとたんに開眼したと伝えられているからです。
きつねは令和2年11月末にお参りしましたが、ご朱印は書き置きでの対応でした。
まとめ
念願の宗忠神社にお参りできてよかった!
社務所の横は道場になっているので、信者さんもちょこちょこ見えられていましたね。
どんな形であれ神道の教えを日常生活に取り入れるのは素晴らしいことです。
きつねもいろんな教えに触れながら神道の理解・実践を深めていきたいと思います。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさんの開運を心より祈念いたします。