以前きつねが唱えことばと祝詞の違いがよくわからなくて、神主さんにお尋ねして教えてもらったことの備忘録的なものとなります。
唱えことばと祝詞の違い
例えば、「南無阿弥陀仏」を唱えるシーンとして思い浮かべるのは、仏壇の前に正座してひたすら「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」と唱えるとか、ピンチのときにひたすら「ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナンマンダブ…」と唱えるような様子ではないでしょうか。
このように、おまじない的に唱える言葉のことを唱えことば(となえことば)と言います。
唱えことばに厳密な定義があるわけではありませんが、あえて整理するなら、
ここは人によって理解が異なるかもしれませんが、私はそのように理解しています。
となるそうです。
仏教では「南無阿弥陀仏」と唱えることで、阿弥陀仏に帰依して救いの効果をもたらすと考えられています。
ほかにも、「ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ」と唱えることで絶大なる記憶力が目覚めると考えられている真言とかマントラも唱えことばの1つと考えられます。
(虚空蔵菩薩真言ですね。)
ひるがえって、神道ではどうかというと、
実は、神道において「唱えことば」は存在しません。
全国の神社を総括する神社本庁が監修する書籍には、
神道では特別な唱え言はありません
出典:『神道いろは』
とあります。
なぜ神道に「唱えことば」が存在しないかというと、神道では神さまに祈願することが前提となるからです。
コトバそのものに力があるとしても、それは神さまに働きかけるための力であるという前提です。
あくまで神さまへお願いすることにより神さまがお力を与えてくださる、その結果現実が変わる、という理解になります。
まさに、祝詞ですね。
整理すると、
- 唱えことば:コトバ自体が現実を変える力を持つ
- 神道の祝詞:神さまに働きかけることによって現実を変える力を持つコトバや文章(神道では「唱えことば」はない)
ということです。
唱えことば的に理解されている祝詞
とはいえ、神道でも唱えことば的に理解されている祝詞が複数あります。
- 神拝詞
- とほかみゑみため
- 十言神咒(とことのかじり)
などです。
神拝詞
神拝詞は、神社の賽銭箱のそばに神拝詞を書いた板が立てかけてあったりします。
神拝詞(となえことば)#小野照崎神社 #神拝詞 pic.twitter.com/dbioIegkX6
— ⛩小野照崎神社 [公式] (@onoterupr) August 22, 2018
ただ、本来、「神拝詞」とは、「神さまを拝する際の詞(コトバ)」という意味ですので、一般的な名詞であり、いわゆる「祝詞」のことです。
なので、ここで神拝詞として紹介したものは、正確には「略拝詞」と呼ばれます。
略拝詞
祓え給い 清め給え
神ながら
守り給へ 幸へ給へ
(現代語訳)
お祓いください
お清めください
神さまのお力により
お守りください
幸せにしてください
画像にもあるように、神拝詞とかいて「となえことば」と読み仮名がふられています。
でも、本来は神拝詞も祝詞の一種ですので、いわゆる唱えことばとは異なります。
ただ、短文で、誰でも簡単に唱えることができることから唱えことば的に理解されているのです。
とほかみゑみため
とほかみゑみためは、本来は、
吐菩加身依身多女 寒言神尊利根陀見 祓ひ給へ清め給へ
の祝詞となります。
このうち、「とほかみゑみため」が取り出されて唱えことば的に理解されています。
十言神咒(とことのかじり)
十言神咒とは、
天照大御神
と、アマテラスオホミカミの言霊を唱える古神道の行法です。
神道的に唱えことばは存在しないということなので、唱えことばとしては位置づけできませんが、きつねの感覚的には祝詞というより唱えことばと理解して良さそうな気がします。
まとめ
今回、唱えことばの定義を整理させてもらいました。
自分で整理しておきながらなんなんですが、ま、一応の整理であって、あなたの唱えるコトバが「唱えことば」なのか「祝詞」なのかということ自体は重要なものではありません。
きつね的には、大切なのは常に神さまの存在を意識することだと思うので、短文で唱えことば的に使えるコトバがあるならば、生活の中にどんどん取り入れていけば良いと考えています。
なお、祝詞全般の理解についてはこちらが詳しいです。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
あなたの開運を心より祈念いたします。