なんか女性は神棚に触れちゃいけないことになってるとか…
どうしてそんな考え方になってるのか整理してみようか。
たしかに、今でも特定の地域や業種・団体によっては女性が神棚に触れることを禁じているところもあるようです。
男女平等といわれて久しく、これだけ科学が発達した世の中でなぜこのような考え方が残っているのでしょうか。
すごく疑問に感じてしまいますよね。
そこでこの記事では、
- 女性が神棚に触れていはいけないとされた理由
- 本当に触れてはいけないのか
- 結局どうすればいいのか
について整理していきたいと思います。
女性が神棚に触れてはいけないとされた理由(由来)
実際、今でも女性が神棚に触れるのはよくないという考えを持つ方はいらっしゃいます。
きつね(管理人)には建設業に携わっている友人がいるのですが、彼によると、神棚のお世話は男性社員の役割だとのこと。
特に「安全」を重んじる建設業では、迷信とは思いつつも何かあっては怖いので、そうした古い考えに従っているとのことです。
では、なぜ今でも女性は神棚に触れてはいけないという考えが残っているのでしょう?
神道では穢れ(けがれ)を忌み嫌いますが、穢れは物理的に汚れているという場合だけを指すのではありません。
例えば、死、血、病気、出産なども穢れと考えます。
そして、特にこの「血」の穢れが女性との関連が強いものになります。
というのも、女性には月経があり、出産もあるからです。
その意味では、女性は男性と比較すると血に触れやすくはあります。
そして、このことが、いつしか女性=血で穢れた存在とする考え方が生まれたのです。
(このような考えは平安時代以降に定着していったとの説があります。)
実際、
- 女性天皇が月経期間中は宮中祭祀が行われなかった(『皇族たちの真実』(竹田恒泰))
- 戦前は女性が神職になることができなかった
というような影響もありました。
こうした具体的な影響の一つとして、女性は神棚に触れてはいけないという考えが広まるようになったんですね。
ホントに女性は神棚に触れちゃダメ?
女性自体が穢れとして考えられるようになった背景には、平安時代以降、中国(当時は唐)の影響で、律令制の輸入とともに「女性は穢れ」という考え方も輸入されたからだ、という説があります。
平安時代以降、それまでは母系の社会だったところから、家父長制へと転換していく過渡期にあって、女性を穢れとみなす考えが時の権力者層的には都合がよかったようです。
とはいえ、そもそも、古事記の世界に出てくる古代の日本では、天照大御神はじめ女性の神々も多く登場して、女性を穢れとするような考え方はありません。
本来的に、血を穢れと考えることと女性の存在とは全く無関係のものと考えられていたわけです。
ですので、女性は穢れと考えたり、そこから派生して女性は神棚に触れてはいけないなんて考えるのは、ちょーナンセンスで、本来の神道の考え方からは外れているといえます。
ただ、こうしたナンセンスな考え方というのは時代とともに改まっていくものです。
例えば、戦前は女性が神職になることは認められていなかったことを紹介しましたが、戦後になると女性が神職になることができるようになったことなどはその良い例です。
女性が神事に従事することは問題ないという神道本来の形に戻ったわけですね。
なので、当然のことながら、女性が神棚に触れることにはなんの問題もないということになります。
実際、ブログを監修してもらっている神主さんにこの点を確認してみても、
神様を敬う気持ちに男女差があるわけがないんですから。
との言葉をいただいています。
(なので女性もしっかりと神棚のお手入れをやっちゃいましょう!)
でも実際どう対応すればいいの?
ただ、女性が神事に従事できないと考えることがナンセンスだといくらこのブログで叫んでみても、世の中にはいろんな考え方があります。
特に、神道も宗教の一つですから、何が正しくて正しくないかを論理的に説明しても問題は解決しません。
そう考えると、現実に、女性は神棚に触れるべきじゃない、と信じている人に直面した場合、どう対応すればいいのかは悩ましい問題となります。
そこで、一つの解決策として…
これは件の神主さんからのお話です。
とのことだそうです。
つまり、たとえ月経期間中であっても、神社ですらお祓いをして神事に従事できるということです。
であれば、家庭内の祭祀においても、例えば自分で自分に塩を振りかけるなどのお祓いをして神棚のお世話に臨むことになんの問題もないはずです。
もし女性は神棚に触れるべきじゃないと考えている方をどうしても説得しなくてはいけないような場合は、「神主さんからそう聞いた。実際に神社でもお祓いして神事に望むこともある。」とこのブログの内容を説明してみてください。
それでも相手が納得しないのなら…
理屈を超越した世界なので、人間関係を優先して引き下がるのも一つです。
そんな時は心の中でこの言葉を思い出してください。
神は人の敬によりて威を増し
人は神の徳によりて運を添ふ
という言葉です。
鎌倉時代の執権、北条泰時が制定した御成敗式目という幕府の基本法典の第一条に謳われているものです。
神様を敬う気持ちが強ければ強いほど神様のエネルギーは高まり、人は、その神様のエネルギーによって運気が後押しされる、という意味になります。
ここに示された言葉に男女の区別などありません。
「人」が神様を敬う気持ちこそが神様のエネルギーを高めるとしか書かれていないんですね。
きつねもまさにその通りだと思います。
神様のことを正しく敬うならば男女等しく神様からの後押しが得られるのです。
埒が明かない議論に拘泥するよりも、神道の本質的なところを胸に一歩引くのが賢明かと思います。
まとめ
いずれにしても神道の本質的なところから考えれば答えはわかると思うんだよね。
少しずつみんなの理解が広がっていけばいいな。
まとめると、
- 女性は神棚に触れてはいけないとされたのは、女性=血の穢れと考えられたことが背景にある
- ただ、平安時代以降に定着したもので、本来の神道の考え方に存在したものではない
- なので女性が神棚に触れ、お供えをしたり掃除をすることに全く問題はない
- どうしても気になる場合はお祓いして臨む(自分自身に塩を振りかけてお清めするなど)のもあり
それでも納得されない相手に対しては、宗教上の考え方の違いなので、理屈で言い争っても埒があきません。
御成敗式目の言葉を思い起こしながら、ここはいったん引き下がるのも賢い選択だと思います。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。
みなさんの開運を心より祈念いたします。