祝詞と書いて「のりと」と読みます。
「しゅくじ」と読む場合は祝辞です。
入学式や卒業式で読まれるお祝いの言葉ですね。
もちろん祝詞にも祝辞と同じ意味合いを持たせることもありますが、ここではあくまで神主さんが神前で読みあげる祝詞について考えていきましょう。
で、祝詞といえば、まさに、神社の神主さんが神前で朗々と読みあげているものを想像する人が多いかと思います。
ですが、神主さんの祝詞(のりと)にどんな意味があって、何のために読みあげているのかまで知っている人は少ないのではないでしょうか。
そこでこの記事では、
- 祝詞の意味
- 祝詞の効果・奏上の仕方
- 祝詞の種類
などについて解説していきたいと思います。
Contents
祝詞の意味
それではいつものごとく、不明なことは神社本庁の見解を確認するということで、神社本庁が監修する『神道いろは』から引用していますと…
祝詞とは、祭典に奉仕する神職が神様に奏上する言葉であり、その内容は神饌・幣帛を供えて、御神徳に対する称辞(たたえごと)を奏し、新たな恩頼(みたまのふゆ)を祈願するというのが一般的な形
ということなので、神職さんが儀式の際に奏上するものを祝詞ということになります。
幣帛:食事やお酒のお供えを除く神様へのお供え物の総称
恩頼:神々の御神慮や天皇の大御心による恩恵を尊んで用いられる語
ただ、きつね自身が神社本庁の見解を参考にしましょうと言っておきながら申し訳ないのですが、「神職が」という限定がついているので、これだとちょっと狭い定義だと思います。
例えば、
などの疑問が出てきしまうわけです。
そこで、もう少し調べてみると、『祝詞大百科事典』という神道界で有名な西牟田先生という方の書籍にたどり着きました。
そこでは、祝詞とは、
神祇に何事かを奏上したり、神祇のためにある儀式を行う際に用いられる詞や文章
とされています。
この定義だと、神職に限らず、誰でも、神さまに対して何かを奏上するための詞(ことば)や文章が祝詞ということになるので、先ほどの、家庭で奏上する神棚拝詞なども立派な祝詞ということになります。
祝詞とは、神さまに何かを奏上したり、神さまのために何か儀式を行う際に用いられるコトバのこと
祝詞の起源
さて、このような祝詞がいつ生まれたのか、その起源が気になりますが、一言で言えば、神話の時代が起源となります。
具体的には、古事記や日本書紀の天の岩屋の場面で、アマテラスオオミカミがお隠れになった天の岩屋の前で、アメノコヤネノミコトが「太祝詞言」(フトノリトゴト)を読みあげたとされていますが、その太祝詞言が祝詞の起源とされているのです。
その後、平安時代には、『延喜式』という当時の法律の細かな決まりごとを定めた法典の中に、二十七編の祝詞が収録されていて、これらの祝詞は今でも重視されています。
神話の時代から読みあげられ、平安時代での整理を経て、今につながっているのが祝詞というわけですね。
祝詞の効果と奏上の仕方
祝詞の意味とか起源とも関連するのですが、祝詞がなぜ生まれたかというと、言霊信仰が根底にあると言われています。
つまり、コトバには霊力が宿り、口に出して述べることにより、この霊力が発揮されると考えられているわけです。
具体的には、不吉なコトバを発すると実際に不吉なことが起こり、逆に前向きなコトバを発すると状況が好転するというわけです。
神道には、カクリヨ(幽界・隠り世)を実相とし、それが写(映)っている現実の世界をウツシヨ(顕界・現し世)とする考え方があります。
実は、祝詞の言霊の力は、このカクリヨの神々に働きかけて現実のウツシヨを変革してもらおう、という意図があるんですね。
祝詞には、こうした神道的な言霊信仰が根底にあり、一字一句に流麗で荘重な言い回しを用いて、間違えることがないように慎重に奏上されることになります。
こうした神道的な言霊信仰を踏まえて、祝詞奏上の仕方とし神主さんが実際に気をつけていることを直接聞いてみました。
もちろんプロなので当たり前の話ですが、これは大前提で、特に参拝者の名前や住所は絶対に噛んだり間違えたりしてはいけませんので祭典前に徹底して確認します。
とはいえ、実は、祝詞の奏上の仕方、区切り方、声の出し方などに規定はありません。
神主の養成所でも祝詞の作文、作り方は学ぶのですが奏上の仕方は学びません。
みんなそれぞれの神社や地域の風習に従って祝詞奏上します。
というのも、そもそも祝詞は小さな声で奏上するのが本義だからです。
(微声といいます)
本来祝詞とは神々に聞いていただくものであり、人が聞いてはいけないものなのです。
神々にしか聞こえないようにするものだ、という意識で奏上すれば結構なので奏上の仕方の正しい作法自体は存在しません。
気をつけたいのは、微声なので声は小さいですが、必ず発声するということです。
やはり根底には言霊信仰があるからです。
このように、本来の祝詞の奏上の仕方は微声となるのですが、実際、普通の神社の御祈祷ではそうもいきません。
やはり、参拝者の、祝詞奏上を聞きたいという想いにも応える必要があるので、しっかりと声を張っています。
ここは神主の個性に委ねられ、腕の見せ所にもなります。
私の経験としては、今まで聞いてきた中では、声を張って、あとは語呂よく読むことが聞いていて気持ち良いな、と感じます。
ですので、私自身は間違えないこと、そしてお腹から声を出し、語呂がよくなる区切り方で奏上しています。
心持ちとしては心安らかに、悩み事やネガティブなことを一旦遮断する意識を持っています。
ご家庭でも同じようにしていただければと思います。
声を張らずにボソボソ(微声)という形(本義はこちら)でも構いませんし、声を張って朗々と読み上げても大丈夫です。
神主さんの祝詞奏上についてのお話をまとめると、
- 祝詞奏上の仕方はルール化されていない
- ただ祝詞は神さまに聞いていただくものなので微声で奏上するのが本義
- ご祈祷で神主さんが声を張っているのは祈願者の想いに応える側面もある
- なので微声でも声を張ってもどちらでも良い
- 声を張るならお腹から声を出し語呂がよくなる区切りで奏上する
- 心持ちは安らかに、ネガティブな想念は遮断して奏上する
とのことです。
祝詞の種類
この記事の前半で祝詞の意味を紹介しましたが、祝詞の意味を広くとると、さまざまな祝詞の種類が考えられることになります。
狭い意味の祝詞
前半で紹介したように、祭典に奉仕する神職が神様に奏上する詞のことです。
『祝詞大辞典』で紹介されているものには、山形県の出羽三山神社の月次祭祝詞があります。
月次祭祝詞(つきなみさいのりと)
月次祭祝詞
掛けまくも畏き月山神社・出羽神社・湯殿山神社の大前に、宮司・狐太郎恐み恐みも白さく、
毎月の例の随に 月初(中)日の御祭仕へ奉らくとして、献奉る御饌・御酒を平けく安けく聞食して、国家の象徴と尊び奉る天皇の大御寿命を、
手長の大御寿命と堅磐に斎ひ奉り幸へ奉り給ひ、大神等の敷き坐す郷々の御氏子・崇敬者を始め天下の国民に至るまで、
広く厚く恵み導き給ひて、家にも身にも煩はしき事無く病しき事無く守り給ひ幸へ給ひて、子孫の八十続に至るまで弥栄えに栄えしめ給ひ、百姓が取り作らむ五種の穀物を始め甘菜・辛菜に至るまでに、
作りと作る物共を豊かに牟久佐加に成し幸へ給ひ、工業・商業を始めて万の産業を、弥進めに弥栄えに栄えしめ給ひ、皇大御国の文化を弥高に弥広に拡めしめ給ひて、四方の国々安く穏ひに立ち栄えしめ給へと、恐み恐れみも白す
辞別きて、摂社・末社の神等の御前に白さく、斯く仕へ奉る御饌・御酒を相嘗に聞食して、本社の大神等の神業を輔ひ助け奉らしめ給へと、恐み恐みも白す、
大祓詞
6・12月の大祓式で神職が奏上する詞。
神道の根本的な祝詞でもあるので、神職に限らず家庭でも奏上される祝詞です。
ものすごくパワーのある祝詞なので、きつねは毎朝神棚の前で奏上しています。
大祓詞
高天原に神留り坐す 皇が親神漏岐 神漏美命以ちて八百萬神等を 神集へに集賜ひ 神議りに議賜ひて
我が皇御孫命は 豐葦原瑞穂国を 安国と平けく
知食せと 事依奉りき
此く依奉りし国中に 荒振る神等をば
神問はしに問賜ひ 神掃ひに掃賜ひて 語問ひし
磐根樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座放ち
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天降し依奉りき
此く依奉りし四方の国中と 大倭日高見国を
安國と定奉りて 下つ磐根に宮柱太敷立て
高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕奉りて
天の御蔭 日の御蔭と隱坐して 安国と平けく知食さむ
国中に 成出でむ天の益人等が 過犯しけむ種種の罪事は
天つ罪 国つ罪 許許太久の罪出でむ
此く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打切り 末打断ちて
千座の置座に置足はして 天つ菅そを本刈断 末刈切りて
八針に取辟きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は 天の磐門を押披きて
天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞食さむ
国つ神は 高山の末 短山の末に上坐して
高山の伊褒理 短山の伊褒理を搔別けて 聞食さむ
此く聞食してば 罪と云ふ罪は在らじと
科戸の風の 天の八重雲を吹放つ事の如く
朝の御霧夕の御霧を 朝風 夕風の吹払ふ事の如く
大津辺に居る大船を 舳解放ち艫解き放ちて
大海原に押放つ事の如く 彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて
打掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと 祓給ひ清給ふ事を
高山の末短山の末より佐久那太理に落多岐つ
速川の瀬に坐す 瀬織津比売と云ふ神 大海原に持出でなむ
此く持出往なば 荒潮の潮の八百道の
八潮道の潮の八百会に坐す
速開都比売と云ふ神 持加加呑みてむ
此く加加呑みてば 気吹戸に坐す
気吹戸主と云ふ神 根国 底国に気吹放ちてむ
此く気吹放ちてば 根国 底国に坐す
速佐須良比売と云ふ神 持佐須良ひ失ひてむ
此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと
祓給ひ清給ふ事を 天つ神 国つ神 八百万神等共に
聞食せと白す
大祓詞の現代語訳をはじめとする詳細情報はこちらをご確認くださいね。
拝詞(はいし)
祭典を行わず、ただ神さまを拝する時に奏する詞のことです。
神職ではない私たちが神社や神棚の前で奏上できる祝詞が含まれます。
神社拝詞
神社でお参りする際に奏上します。
二礼→祝詞奏上→二礼二拍手一拝
の順で奏上するとよいです。
以下拝詞奏上のタイミングは同じです。
掛けまくも畏き 〇〇神社の大前を拝み奉りて 恐み恐みも白さく
大神等の広き厚き御恵を辱み奉り 高き尊き神教のまにまに
天皇を仰ぎ奉り 直き正しき眞心もちて 誠の道に違ふことなく
負ひ持つ業に勵ましめ給ひ 家門高く身健に
世のため人のために盡さしめ給へと 恐み恐みも白す
神棚拝詞
神棚で奏上します。
此の神床に坐す 掛けまくも畏き
天照大御神 産土大神等の大前を拝み奉りて 恐み恐みも白さく
大神等の広き厚き御恵を辱み奉り 高き尊き家訓のまにまに
直き正しき眞心もちて 誠の道に違ふことなく
負ひ持つ業に勵ましめ給ひ 家門高く身健に
世のため人のために盡さしめ給へと 恐み恐みも白す
祖霊拝詞
先祖をお祀りする祖霊社の前で奏上します。
代代の先祖等(何某の御霊)の御前を拝み奉りて
慎み敬ひも白さく 広き厚き御恵を辱み奉り
高き尊き家訓のまにまに 身を慎み業に勵み
親族家族諸諸心を合せ 睦び和みて 敬ひ仕へ奉る状を
愛ぐしと見そなはしまして 子孫の八十続に至るまで
家門高く立ち榮えしめ給へと 慎み敬ひも白す
略拝詞
これまでの拝詞と後に説明する祓詞をぎゅっと凝縮した詞です。
神社や神棚にお参りする際に唱えます。
略拝詞
祓へ給へ 清め給へ
守り給へ 幸へ給へ
遥拝詞(ようはいし)
拝詞のうち、特に遠隔の神さまを遥拝するときの詞です。
遥拝詞については遥拝方法も含めてこちらの記事で詳しく紹介しています。
祓詞(はらえことば)
修祓(しゅばつ)を行なうときに、祓の神さまに奏上する詞です。
- 修祓:祭典において、神さまをお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓(はら)うこと、つまりお祓いのこと
- 祓の神さま:イザナギノミコトが小戸の阿波岐原で禊祓を行ったときに生まれた神さまのうち、大祓詞に登場する祓と禊を司る次の神さま
・瀨織津比賣(セオリツヒメ)
・速開都比売(ハヤアキツヒメ)
・氣吹戸主(イブキドヌシ)
・速佐須良比売(ハヤサスラヒメ)
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等
諸諸の禍事 罪穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を
聞こし食せと 恐み恐みも白す
略祓詞
まさに祓詞をぎゅっと凝縮した祝詞です。
祓へ給へ 清め給へ
天津祝詞(あまつのりと)
天津祝詞なるものが一体どのようなものであるのかは、諸説あってはっきりしたことはわかりません。
ですが、この記事では、「もともとあちこちに伝わっていた、お祓いの前に唱えられていた四種の祓のコトバを取捨選択して一つに集めたもの」という理解に立っています。
天津祝詞の成立・由来も含めた詳細についてはこちらで紹介しています。
その他の祝詞
『祝詞大辞典』によれば、そのほかにも祝詞に分類されるものがあります。
ここまでくると細かい話になってしまうので定義だけ紹介します。
- 祭詞(さいし):例祭、遷座際、式年祭等の時に幣帛使が神前に奏する詞。また、神葬祭の祝詞を祭詞とも称する
- 御告文(おつげぶみ):天皇が神祇を御神祭される時に、自ら奏せられる祝詞。皇太子・皇族の場合は、御を省いて単に告文(つげぶみ)と称する。
- 御祭文(ごさいもん):勅使が神祇に奏上する祝詞
- 策命文(さくみょうぶん):山陵(天皇・皇后の墓所)・御墓(皇太子・皇族の墓所)に奏する祝詞
- 宣命(せんみょう):天皇のお言葉を神仏の前で奏上したり、臣下に宣べ聞かせるための言葉や文書をいう。そのための使者を宣命使と称した。
出典:『祝詞大辞典』
また、こちらで紹介したような祝詞として位置づけるべきか、いわゆる唱えことばとして位置づけるべきか迷うような短文の”祝詞”も存在しますのでこちらもあわせてお読みくださいね。
唱えことばとは、
仏教で唱える「南無」とは、梵語(サンスクリット)の音訳で、「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀仏に帰依して救いを求める唱えことば
出典:『神道いろは』
のこと。
このような仏教の南無阿弥陀仏に相当する唱えことばは神道にはないと考えられていますが、唱えことばに近いものとして上記の記事で紹介したような短文の祝詞が存在しています。
まとめ
こちらの記事で紹介した祝詞を自宅でも奏上して、祝詞のパワーを生活の一部に取り入れてみてくださいね。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさんの開運を心より祈念いたします。